マグダレナ・シロダ「プーチンと家父長制から世界を守ること」

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「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月26日
https://wyborcza.pl/7,75968,28374912,obronic-swiat-przed-putinem-i-przed-patriarchalizmem.html

たしかに、ウクライナの女性たちもまた戦っている。しかし、戦争は女の顔をしていない。

* * *

ウクライナでの戦争について、私たちはおそろしいことが起こっていることを知っている。そのすべてを認めたうえであえて言えば、この戦争もまた変わらぬ時代の乗り物である。それは、私たちを、英雄たちと悪魔どもからなる、真の男性の世界へと連れていく。この世界では、英雄たちは栄誉に値し、悪魔どもは非人間的な存在として死に値する。このような現実の見方と、それに付随するあらゆることは、戦争それ自体と同じくらい悲惨であり、うしろ向きである。なぜならば、ようやく私たちは、平等、公正、民主主義、対話、寛容、多様性といった価値を学び始めたところであったのに、再び――残念ながら――私たちの歴史と道徳に深く根づいた「英雄的・殉教的価値体系」(*1)へと戻っていきつつあるからである。

たしかに、この価値体系は、「法と正義」によってすでに入念に埃を払われていたものだ。「法と正義」は、そのキッチュだが効果的なやり方で、無意味な死を褒め称え、「呪われた兵士たち」(*2)の空虚なヒロイズムを称揚し、ある航空機事故をめぐって神話化された殉死の物語(*3)を宣伝してきた。しかし、ウクライナにおける戦争は、この言説に新しい息を吹き込み、さらに強化したのである。そして、その現われは、社会のなかで価値を語るときの言葉使いや、戦時に特有の政治的な統治手法(プロパガンダの見地からみても、実務的な見地からみても、政権与党が設定する権威主義的な政策目標にとって、戦争ほど好都合な文脈は存在しない)のなかに認められるだけでなく、メディアや大衆文化のなかにも見出される。

玩具店や土産物店の店頭に、ライフル銃やその他の「武器のおもちゃ」が戻ってきた。そのために、男の子たちは、殺し合いで遊ぶことができるようになっている。メディアは競い合うように、戦いへと駆り立てる言葉、英雄的行為を書き記す言葉を繰り返している。しかし誰も言わないのだ、そこに何ひとつ新しいものはない、ということを。戦争は家父長制の土台であり、まさしく私たちの文化にみられる男性中心主義の基盤である。あなたたちはこう言うかもしれない。女性たちも戦っているではないか、かりに彼女たちが統治していても、戦争は同じように血に濡れたものになるだろう、と。これに対して私はこう答えよう。女性たちは戦っているし、攻撃的になることもできる。なぜならば、彼女たちは、男たちによって支配された世界が彼女たちに作りあげた諸条件に適応しなければならないからだ。しかし、「戦争は女の顔をしていない」(*4)。平和の時代にも、戦争の時代にも、女性たちは性的な対象として、男性の支配を示すための手段として扱われる。強姦は、そのためにこそ使われているのだ。集団的にそれが起こっていることに、いま、私たちは憤慨している。しかし、平和な時代においても女性に対する暴力は大幅に許容されてきたし、いまでも許容されている。強姦に対する刑罰は重いものではなく、暴力を規制する法律は(ポーランドでは)成立する見通しがない。「殴りもせずに女どもをどう扱えるというのか…」というのだ。戦時と平時で強姦の規模と残虐性に違いはあっても、その本質は同じである。男性中心主義と、家父長制的な上下の序列と、伝統の名のもとに持ちあげられるライフスタイルから、生まれてくるのだ。

これはあまり指摘されていないことだが、戦争は攻撃性を解き放つだけでなく、欲望をもかき立てる――この点では資本主義と共通する。誰もが買い求めている武器は、ウクライナでの戦争が終わっても空中に蒸発することはない。そこで積みあげられた武器の集塊は、地上のどこか別の場所に流れていき、そこですぐに再び地獄の蓋を開け、死と、暴力と、軍事産業への巨大な利益をもたらすだろう。

戦争の時代に平和主義者であることが困難であるとしても、私たちの文化のなかで戦争が自明なものになってしまっている理由を頭のどこかで問い続け、そのような文化を根底から変えていく努力をするべきなのだ。

私たちが世界を守らなければならないのは、プーチンに対してだけではなく、家父長制に対してでもあるからには。

*マグダレナ・シロダ Magdalena Środa は1957年生まれの哲学者、フェミニスト。ワルシャワ大学教授、ポーランド政府の男女平等問題全権委員(2004~05年)。

1 「英雄的・殉教的価値体系」(zestaw heroiczno-martyrologiczny)とは、ここでは、18世紀後半にポーランドが分割されて国家を失って以降、19・20世紀に民族主義的な運動が展開されるなかで形成され、称揚されてきた一連の価値の体系を指す。武装蜂起や地下抵抗活動のなかで命を失った多くの犠牲者たちは、祖国の再生のために殉じた英雄として表象されてきた。

2 「呪われた兵士たち」(żołnierze wyklęci)とは、第二次世界大戦中から戦後にかけてソ連の支配と共産主義化に抵抗して戦ったポーランドの地下軍事組織の兵士たちを指す。彼らの武装地下活動は1950年代後半まで続いたが、ポーランド政府とソ連内務人民委員部によって弾圧され壊滅した。
反共武装組織の活動の歴史的意義は、彼らが反ユダヤ的な主張を掲げていたことを含めて、学術と政治の両次元にまたがる論争の対象となっている。「空虚なヒロイズムの称揚」というシロダの批判は、現政権与党「法と正義」が、その歴史政策の一環として「呪われた兵士たち」の顕彰に力を注いできたことに向けられている。

3 2010年4月10日、「カティンの森事件70周年追悼式典」に出席するポーランド政府要人(カチンスキ大統領夫妻を含む)を乗せたポーランド空軍の飛行機が、ロシアのスモレンスク近郊で墜落した事故をめぐる、政権与党側の主張を指している。「法と正義」調査団は、墜落の原因について、ロシア側による人為的な誘導・爆破の可能性を指摘した。歴史家ノーマン・ディヴィスが「法と正義」の主張を「スモレンスクをめぐる嘘」として批判的に言及していることは、本タイムラインでもすでに紹介した。
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/interview/20220417_2/

4 原文を直訳すると「戦争はそのなかに女性からのものを何も含んでいない」(wojna nie ma w sobie nic z kobiety)となる。この文言は、2015年にノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチによるノンフィクション『戦争は女の顔をしていない』(1985年。日本語訳は、三浦みどり訳、岩波現代文庫、2016年)のポーランド語訳の書名と同一である。

【SatK】