ロシアのウクライナ侵攻について――アダム・ミフニクの『ニューヨーカー』誌上インタビュー

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ロシアのウクライナ侵攻について――アダム・ミフニクの『ニューヨーカー』誌上インタビュー
「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月22日  執筆:Mikołaj Chrzan
https://wyborcza.pl/7,75968,28365353,adam-michnik-dla-new-yorkera-o-rosyjskiej-inwazji-na-ukraine.html#S.tylko_na_wyborcza.pl-K.C-B.2-L.1.maly

「この7年間、内政においても外交においても、政府はポーランドをよくない方向に導いてきた。だが、ウクライナのことでは、いまの政府は良識をふまえた、まっとうな取り組みをしていると私は考えている」――「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹アダム・ミフニクは、アメリカのリベラルな週刊誌『ニューヨーカー』のインタビューでこう語った。

* * *

「記者にして歴史家、そして冷戦期に最も有名だった知識人のひとりであるミフニクは、東欧でソ連の支配に反対した声を象徴する存在であり続けている」――『ニューヨーカー』の記者アイザック・ショティナー(Isaak Chotiner)は、インタビューの前書きでこのように書いている。

「現在75歳のミフニクは、ポーランドのリベラルな日刊紙『ガゼタ・ヴィボルチャ』の編集主幹である。彼はまた、10年以上にわたって、ポピュリスト的な右派政党「法と正義」に対して激しい批判を加えてきた人物でもある。「法と正義」は現在、ポーランドの政権を動かしており、民主主義的な法治国家の原則に反する政策をめぐってEUと戦いを繰り広げている。しかし、目下ポーランドは、ロシアのウクライナ侵攻に対しては、他のヨーロッパ諸国と歩調を合わせている。中東とアフリカからの難民受け入れには断固として反対していたポーランド政府は、国連の発表によれば、ここ数週間のうちに200万人を越えるウクライナ人を受け入れた。」

ショティナーは同じ前書きで、ミフニクの次のような発言に言及している。
「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ。」
これは、ミフニクが、ソ連とロシアの攻撃的なふるまい(それは自国内の社会や反対勢力にも向けられてきた)の歴史的文脈のなかに、ウクライナ人のたたかいを位置づけた文章の一節である。

プーチンはアメリカが歯抜けの状態だと考えていた

対談は、ウクライナへの侵攻は西側と西側的価値にとってのテストだったのではないか、という問いから始まった。
「西側が、民主主義を守るためにこのように幅広く連携したことは、私にとってはうれしい驚きでした」とミフニクは答えた。「この先どうなるか見守る必要がありますが、いまのところEUは――もちろんハンガリーを除いてですが――、そしてNATOも、この試験でよい点数をとっています。(…)ウクライナは孤立してはいません。そして、これこそまさしくプーチンが達成しようとしていたことの反対なのです。彼は、EUは仲違いしており、アメリカは〔アフガニスタンの〕カブール撤退後は歯抜けの状態にあると考えていたのです。」

西側のこうした政策には常に強力な敵がいる、とも彼は指摘する。彼によれば、強力な敵とは、ヨーロッパでも、アメリカでも、ポピュリスト的な右派民族主義運動であり、また、アメリカ自体を人類最大の脅威とみなす極左的な運動もそうである。

対談の次のテーマは、ウクライナ侵攻をめぐるポーランドの政策の評価であった。
「私は、ポーランドの現政権に強く反対しており、これは例外的にひどい政権であると考えています。そのような者として、私はこの場では公平な証人ではありません。この7年間、内政においても外交においても、政府はポーランドをよくない方向に導いてきました。しかし、ことウクライナにかんしては、いまの政府は良識的で、まっとうな取り組みをしています。多くの点で、私には現政権を支持する用意があります。とりわけウクライナからの難民に門戸を開いている点については」と、ミフニクは述べた。

一方の難民を支援し、他方の難民を追い払う

しかしその後に続けて、彼は、その同じ政権が最近まで難民への憎悪のうえに自らのアイデンティティを築きあげてきたことを指摘した。〔昨年11月に〕ポーランドとベラルーシの国境で野蛮な対応がたて続けに生じたのであり、それをベラルーシのルカシェンコ政権だけでなく、ポーランド政府側も容認していたのである。

「女性や老人や子どもたちが、氷点下まで気温が下がった森や沼地に放置され、ベラルーシ側に追いやられているという通報がありました」と「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹は語る。しかし、ウクライナからの難民の場合には、状況が異なっていることを彼は指摘した。「政府は、ポーランド人がまっとうな態度で対応することを邪魔していません。そして、これが政府の主たる功績です。」

「法と正義」政権とロシアとのそれ以前の関係について問われたミフニクは、〔ヤロスワフ・〕カチンスキ〔「法と正義」総裁〕の一連の行動はポーランドの「プーチン化」の一形態であると言う。
「ふたりの間にはグロテスクな類似がありました。プーチンがロシアは立ち上がった、と言うと、カチンスキもポーランドは立ち上がった、と返すのです。プーチン、カチンスキ、オルバンの歴史政策〔その時々の政権が、教育機関やメディアをつうじて、歴史の解釈について特定の方向に国民を誘導するような政策を指す〕はいずれも、歴史はほんとうにあったものとは違うのだ、と人びとに言う点で同じです。つまり、彼らは、過去はもっぱら崇高なものだったと言うのです。たとえば、ロシアは誰にも何も悪いことはしておらず、いつも犠牲者だったのだ、と言うわけです。そして、もしロシア軍がいつかどこかに侵攻したことがかつてあったとしても、それは攻撃したのではなく、兄弟を解放し支援するためだったのだ、と言うのです。」

ミフニクは、EUに対する「法と正義」の政策も批判した。
「ポーランドにおける統治の形態はきわめてかたくなで馬鹿げたものです。この政権は、なんらかの過ちを犯しても誠実に認める能力をもっていないのではないか、と私は心配しています。現政権の外交政策は、反EU的な勢力――マリーヌ・ルペン、オルバン、サルヴィーニといったプーチンによって支援されてきた人びと――との同盟によって支えられてきたのですが、その全体が失敗であったことがはっきりしたわけです。EUはでっちあげの共同体だとか、われわれは「ブリュッセルに占領されている」、といった類のナンセンスな語りは、まったく愚の骨頂です。」

啓蒙されたポーランドとその敵たちの永遠のたたかい

ショティナーは、しばしばヨーロッパ外の他の諸国からの難民に比べて、ウクライナからの難民に対して政府がより好意的に対応しているのは、ポーランド社会自体の態度の表れなのではないか、と問うた。

「おそらく世界中で、ポピュリスト的、外国人排斥主義的、民族主義的、反民主主義的な見解を表明する人びとがひとりも見当たらないという国民は存在しないでしょう。アメリカの大統領選後に合衆国議会議事堂に押しかける群衆を私たちが目にしたのは、そんなに昔のことではありません。その種の人びとはアメリカにもいるし、ポーランドにもいるということです」と、ミフニクは説明した。

ミフニクは、啓蒙された寛容なポーランドとその敵対者たちとのあいだで、何世紀にもわたってたたかいが続けられてきたことを強調する。
「ポーランドの初代大統領ガブリエル・ナルトヴィチ〔1865~1922〕は、民族主義的な狂信者によって暗殺されました。それは、民族的少数者を代表する議員たちの支持があって選ばれた大領領に向けられた憎悪からの襲撃でした。彼は「ユダヤ人の大統領」と呼ばれていたのです。ナルトヴィチの暗殺以降、私たちは、いろいろな場面で、さまざまなかたちをとった、これと同じような対立を数多く目撃してきました。」

対談は、ソ連の没落の評価にも及んだ。
「ソ連が崩壊したときにシャンパンを開けた人びとの集団のなかに、私もいました。それは20世紀最大の地政学的な破局だったとプーチンが語るのを聞いていると、彼は閉じたバブルのなかで暮らしているのか、防空壕に閉じこもって、あなた様は天才でございますと恥知らずに吹き込む側近、平伏する者、賛意を示す者としか話をしていないのではないか、と思います。そうやっているうちに、彼はロシアを破局へと導くことになるでしょう。」

ロシアの思想、ロシアの文化、ロシアの市民的感覚の一大覚醒期としてのペレストロイカについて、彼は次のように語る。
「当時起こったこと、表明され語られたことは、けっして消し去られることはありません。それらは人びとの意識のなかに残っています。デカブリストや、ゲルツェンの理念や、偉大なロシア文学――トルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、ゴーゴリ、チェーホフがそうであるように。あるいは、1968年にチェコスロヴァキアへの軍事介入に抗議するためにモスクワの赤の広場に赴いた8人についての記憶がそうであるように。彼らは、別のロシアが存在すること、ロシアはブレジネフやプーチンのようであることを運命づけられてはいないこと、自由で勇敢で考え深く民主主義的な人びとのロシアが可能であることを示したのです。」

歴史が必然的なものであるとは信じない、と彼は強調する。
「ロシアにとって暗い時代がいま訪れていますが、同時にこれは未来の種を撒く時でもあります。私はロシアの未来を信じています。いかなる国民も敗北を宿命づけられてはいませんし、隷属のなかで生きることを定められてもいません。」

プーチンとの会見で「ギャングが座っているのかと思った」

『ニューヨーカー』の記者は、「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹に、プーチンとの会見についても訊ねた(ミフニクはプーチンと数度にわたって直接会っている)。
「プーチンと会話したとき、スターリンはイワン雷帝とピョートル大帝のどちらにより近いと思うか、と聞いてみました。彼は、スターリンはチンギス・ハンにより近いと思う、と答えました。プーチンは誰に似ていると思うか、というあなたのおたずねには、計算能力を失ったギャングのようだと、とお答えしておきましょう。」

ミフニクによれば、ロシアの大統領は、最初に会ったときには、合理的で実際的な政治家としての印象を与える存在だった。しかし、2度目に会ったときには、すでにまったく違っていた。
「われわれには1問しか質問が許されませんでした。そこで私はミハイル・ホドルコフスキー〔ロシアの元実業家、石油会社ユコス社の元社長。新興財閥(オリガルヒ)のひとり。現在はロンドンで事実上の亡命生活を送っている〕について訊ねました。プーチンは顔を赤カブのように紅潮させて激昂しました。そのとき私は、自分の前に座っているのはギャングだ、しかしこのギャングは計算ができない、と思いました。いま私は、プーチンが計算する力を失っており、そのためにロシアを破局へと導いていると考えています。」

最後にアダム・ミフニクは、『ニューヨーカー』にはとても愛着がある、と付言した。
「獄中にいたとき、今は亡き私の親友ジョナサン・シェルが『ニューヨーカー』に私についての記事を書いてくれたのです。それは、それまで私が自分について読んだなかでは最高の文章でした。」

アダム・ミフニクAdam Michnikは、1946年生まれのポーランドのジャーナリスト、「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集主幹。
高校生の頃から知識人たちの批判的な討論グループに参加し、ワルシャワ大学歴史学部在籍中には2度にわたって停学処分となった(1度目はヤツェク・クーロンとカロル・モゼレフスキによるポーランド統一労働者党への公開状を仲間の学生たちに配布したため。2度目は哲学者レシェク・コワコフスキとの討論会を企画したため)。
1968年3月、国民劇場でミツキェヴィチ『父祖の祭り』の上演が検閲によって中止になったことに抗議する活動にかかわったため逮捕され、退学処分をうけた。釈放後は学業を禁止され、電機工場で2年間働いた。70年に学業復帰を認められ、ポズナン大学歴史学部を卒業。77年から労働者擁護委員会(KOR)の活動にかかわり、独立系の科学講座協会(TKN いわゆる「飛ぶ大学」の後継組織)の講師を務めた。1980~81年には独立自主管理労組「連帯」の指導的メンバーの1人として活動した。
1981年12月の戒厳令布告後に逮捕され、84年に釈放された。翌85年にも逮捕され、17か月間を獄中で過ごした。
1989年には「円卓会議」に参加し、反体制側から体制転換の道筋を引く役割をはたした。会議後に創刊された「ガゼタ・ヴィボルチャ」は、体制転換後の主要な日刊紙の1つとなった。ミフニクはこの新聞の創刊時に編集主幹となり、現在までその地位にある。「ガゼタ」紙上にしばしば論説を執筆するほか、著書・対談など数十点の著書が刊行されている。日本語訳としては、『民主主義の天使―ポーランド・自由の苦き味』(川原彰・水谷驍・武井摩利訳、同文舘出版、1995年)。

『ニューヨーカー』の記者ショティナーがインタビューの前書きで言及したミフニクの発言「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ」を含む文章は、ロシアのウクライナ侵攻が始まった日に「ガゼタ」紙上に発表された。本タイムラインに翻訳が掲載がされている。
「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集主幹アダム・ミフニクの論説
投稿日: 2022年2月24日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220224/

『ニューヨーカー』のインタビューで、ミフニクは、中東からの難民を拒絶し、ウクライナからの難民は受け入れるダブル・スタンダードを厳しく指摘しているようである。
「ガゼタ」に「難民の2つのカテゴリー」について批判的な視点からのルポルタージュが掲載されたのは、編集主幹にこのような視点が最初からあったためであろう。
「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」
投稿日: 2022年3月17日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220317_1/

ミフニクが、ポーランドの現政権の「プーチン化」を指摘している点も、重要である。これは、「ロシアの政治的展開を問う唯一の正当な方法は、己を知る、つまりプーチン体制の中の西側的部分を知ることだ」という認識(*)とも重なる視点である。プーチンのロシアを悪の権化と見なすあまりに、ウクライナを挟んで対峙しているロシアと欧米諸国(さらには日本)に共通する危険な徴候を見逃すべきではない。
*藤原辰史: 「ファシズムとロシア」書評 プーチン体制の本丸を見誤るな 『朝日新聞』2022年4月16日 https://book.asahi.com/article/14599419

「自由と平和のための京大有志の会」のHP上での、ロシアのウクライナ侵攻をめぐる一連の発信の出発点は、ウクライナに連帯するポーランドの知識人・文化人のアピール(「ガゼタ」2月19日付)の翻訳・紹介である。その中心にいたジャーナリストの現時点での見解を紹介する意味で、今回、本記事の全文を翻訳することにした。

(参考)ポーランドの知識人・文化人による「ウクライナとの連帯とロシアの侵攻阻止を求めるアピール」に寄せて
2022.02.23
https://www.kyotounivfreedom.com/solidarnosc_z_ukraina/apel/

【SatK】