アダム・ミフニク「プリゴジンのクーデターは、プーチンのロシアの終わりを意味する」

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『ガゼタ・ヴィボルチャ』 2023年6月24日付
https://wyborcza.pl/7,75398,29904100,michnik-pucz-prigozyna-oznacza-koniec-rosji-putina.html

この10年来、多くの人にとって明らかであったのは、ウラジーミル・プーチンにとってのウクライナとの戦争は、ソ連の独裁者レオニード・ブレジネフにとってのアフガニスタン戦争と同じものとなるだろうということだった。1991年のゲンナジー・ヤナーエフの失敗したクーデターがソ連の終焉を意味したように、エフゲニー・プリゴジンのクーデターはプーチン大統領のロシアの終焉を意味する。

いずれにせよ、この腐った帝国主義的レジームは、その無慈悲な独裁者と共に終わるだろう。 ポーランドの政治に要請されているのは、冷静さと節度と責任ある姿勢を保つことである。 ロシア国内のギャング同士の内戦を利用しようとするいかなる試みも、ポーランド国内の政界のギャングどもに利益をもたらすことはありえない。

ポーランドの選挙は、完全に民主主義的で、完全に透明でなければならない。ポーランドの国家理性がそのことを求めている。

プリゴジンの反乱に対する、ポーランドの日刊紙『ガゼタ・ヴィボルチャ』の編集主幹アダム・ミフニクのコメント。

「1991年のゲンナジー・ヤナーエフの失敗したクーデター」とは、この年の8月に副大統領ヤナーエフをはじめとするソ連共産党保守派の党官僚が、改革派のゴルバチョフ政権に反発して起こしたクーデターを指す。クリミア半島で休養中のゴルバチョフに大統領辞任を迫ったが拒否され、別荘に軟禁した。しかし、ロシア共和国大統領であったエリツィンが「クーデターは違憲」と声明し、モスクワ市民と軍の大勢がこれを支持したため、クーデターは失敗に終わり、ソ連共産党の権威の失墜をもたらした。

ポーランドでは、今秋に議会選挙が予定されている。「ポーランド国内の政界のギャングども」と「ポーランドの選挙」へのミフニクの言及は、国政選挙を控えたポーランドの最近の政治情勢をふまえたものである。ポーランドでは、5月末に、「ロシアの影響」を受けた政治家らの公職追放を可能にする新法が制定された。この法律の真の狙いは、右派与党「法と正義」(PiS)が、年内に予定される総選挙で野党候補を排除することにあるといわれる。最大野党「市民プラットフォーム」は、首相や欧州理事会常任議長(EU大統領)を歴任した同党のトゥスク党首の立候補を阻止するための工作だと批判している。

【SatK】

アダム・ミフニク「ウクライナでの戦争は、ロシア国民とウクライナ国民との戦争ではない。この戦争は、民主主義的世界で生きようと望むわれわれ全員にとっての新たな挑戦である。」

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『ガゼタ・ヴィボルチャ』2023年2月23日
https://wyborcza.pl/7,82983,29482389,adam-michnik-wojna-w-ukrainie-to-nie-jest-wojna-narodu.html

今日、われわれが1周年を迎えているこの戦争は、疑いもなく、われわれの時代の最も重要な戦争である。なぜならば、これは、帝国主義的・排外主義的・全体主義的なプロジェクトと、民主主義的・ヨーロッパ的・複数主義的なプロジェクトとがたたかう戦争だからだ。

これは、ロシア国民とウクライナ国民との戦争ではない。これは、プーチンの帝国的・殺人的・犯罪的権威主義とウクライナの民主主義との戦争である。ウクライナの民主主義の根本的な目標はヨーロッパ連合の民主主義的な構造のなかに加わることであり、その意味で、これは、われわれの世界とわれわれに敵対する世界との戦争である。

だが、忘れてはならないのは、プーチンや小型のプーチンたち、あのプーチンの小人のような連中は、あらゆる国に、ある程度までは、すべての社会集団のなかに存在するということだ。この戦争の本質的な姿、その本質的な意味が疑問視されるところ、そのような場所のいたるところに、われわれは小プーチン的なものを見いだす。

われわれポーランド人は、このやり口をよく知っている。バルト諸国、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーに対する、大ロシア主義的な帝国主義、ソヴィエト的帝国主義、プーチンの偽りの帝国主義のこのやり方を。

これらのすべての帝国的な侵略を、われわれは記憶している。それは、いつも最初に大きな嘘をつくことから始まった。これは攻撃的な侵略ではなく介入にすぎない、それは社会的・民族的・人間的な権利を護るために行なうのだ、と。1939年にヒトラーの軍隊がポーランドに侵攻したときもそうだった。それは、ドイツ系少数者の権利を護るためと称されたのだ。スターリンの軍隊が侵攻したときもそうだった。それは、ベラルーシやウクライナの住民を護るためと称されたのだ。

事実は、この戦争が、民主主義的世界で生きようと望むわれわれ全員にとっての新たな挑戦である、ということだ。
これは、どちらに立つかの挑戦であり、そこには中立の場所はすでにない。両方に均等に足を置くような場所はないし、この挑戦を過少に扱うことはもちろん論外である。これは、第二次世界大戦に匹敵する挑戦である。そして、この挑戦において、ポーランドが正しい側に立っていること、自らのアイデンティティを守ろうとするウクライナの側に立っていることを、私は幸いであると思う。

ポーランドとウクライナの関係の歴史には、いろいろな局面があった。この関係はしばしば悪いものであったし、悲劇的なものになったこともしばしばあった。そして、今日、政治的な立場を問わず、ポーランドがウクライナに友愛の手を差しのべていることは、ポーランドの歴史の暗い側面に対する勝利であり、大きな成功である。この関係が続くことを私は願っている。

これは、他の国民に敵対するための友愛ではない。これは、独裁と、全体主義と、虚偽と、残虐行為と、犯罪に反対するための友愛である。集団虐殺の犯罪に反対するための、ウクライナ国民を殺害する犯罪に反対するための、友愛である。

殺されたすべての人びとは、ポーランド人の側からの、賛嘆と感謝の言葉に値する。ウクライナの地で、ポーランドの自由の運命が決められている。われわれの心は、ウクライナの人びとの側にある。ウクライナ人が彼らの自由のためにたたかう戦争は、われわれの自由のための戦争でもあるのだ。

ポーランドの日刊紙『ガゼタ・ヴィボルチャ』の編集主幹アダム・ミフニクが、ウクライナでの戦争1周年にあたる2月23日に発表したメッセージです。

1年前、同じ日刊紙『ガゼタ・ヴィボルチャ』に発表された、ポーランドの知識人・文化人による「ウクライナとの連帯とロシアの侵攻阻止を求めるアピール」の翻訳と解説を「有志の会」のホームページに掲載しました。
翻訳:https://www.kyotounivfreedom.com/solidarnosc_z_ukraina/apel/
解説:https://www.kyotounivfreedom.com/solidarnosc_z_ukraina/komentarz/
昨年2月19日付で公表されたこのアピールの中心となったのが、アダム・ミフニクでした。
ロシア軍の侵攻が始まった2月24日に発表された彼の論説「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ」も、翻訳を「生きのびるために ウクライナ・タイムライン」に掲載しました。
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220224/

1年をへて、「この戦争はヨーロッパの自由と民主主義を守るための戦いである」という、彼の見かたが変わっていないことが確認できます。ポーランドとウクライナの関係史に不幸な時代があったことを認めたうえで、ポーランド人がウクライナに友愛の手を差しのべる現状を肯定的に評価する点も変わりません。

「民主主義vs. 独裁」「自由vs. 全体主義」というとらえ方に、欧米中心主義的なイデオロギー性を感じる読者もいるかもしれません。しかし、ポーランドの近現代史をふまえると、これもまたリアルな歴史と現状の認識の表現なのです。むしろ、ロシアとの関係で多くの困難に直面してきた国を代表する日刊紙が「この戦争はロシア国民とウクライナ国民との戦争ではない」というメッセージをはっきりと掲げていることの意味を、私たちはしっかりと受けとめるべきでしょう。

【SatK】

ポーランドの国境警備隊、9,000人近くのウクライナ人の入国を拒否

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執筆:アニタ・カルヴォフスカ Anita Karwowska
『ガゼタ・ヴィボルチャ』 2022年11月28日
https://wyborcza.pl/7,75398,29193076,straz-graniczna-uniemozliwila-wjazd-do-polski-niemal-9-tys.html#S.TD-K.C-B.1-L.1.duzy

初めて国境を越えようとしているウクライナ人も、一時的に祖国に戻って、もう一度ポーランドに行こうとしている難民たちも、入国に問題を抱えている。

「数か月来、ウクライナの市民や、ウクライナ領内に居住する外国人に対して、ポーランドへの入国を認めなかったり、条件をむずかしくしたりする事例の報告を受けている」と、 「法的介入協会」(SIP)は警告する。ポーランドの領土に初めて入国する人びとと、ポーランドや他の EU 諸国でいったん保護を受けてからウクライナに一時帰国した人びとの双方から、この問題についての訴えが届いているという。

この問題について本紙で最初にとりあげたのは、7月のことであった。外国人を支援している SIPには、ポーランドへの再入国を拒否されたウクライナ市民についての情報がますます多く届いている。彼らには、戦争難民への支援にかんする特別法によって帰国する権利が保障されているにもかかわらず、である。

3 月に採択され (7 月初旬に改正された) ウクライナ難民のための特別支援法では、2022 年 2 月 24 日以降にポーランドに入国し、一時的な保護の対象となり、その後ポーランドを出国した人は、 30 日以内であれば、法律で保証されている権利(たとえば、子供 1 人あたり 500ズウォティの追加支援)を失うことなく自由にポーランドに戻ることができることになっている。

「内務省もそのような見解をとっているのですが、国境警備隊が規則を違ったように解釈しているようです。 しかし、そうした解釈は、法律に合致していません。従来、国境ではかなりの程度まで裁量の余地が認められてきました。警備隊員は、国境を越える人びとに大きな権力を行使する状態に慣れていました。ところが、戦争難民のために導入された規則は、彼らの立場を弱めたのです」とSIP会長であるヴィトルト・クラウス教授は説明する。

7月の段階では、SIPはまだ詳細なデータを持っていなかった。しかし現在では、情報公開制度を利用して、国境警備隊からデータを入手している。それによると、3月から9月にかけて、ウクライナとの国境で、国境警備隊の職員は、8,840件の入国拒否にかかわる決定を下したことがわかる。その対象には、ウクライナ市民と他国の市民の両方が含まれる。9 月だけでも、こうしたケースは約 2,000 件にのぼっている。

ほとんどの場合について、国境警備隊は、ビザなしで移動する場合にEU領内での滞在が認められる期間を超過していること、あるいは、有効なビザまたは居住許可の書類を持っていないことを理由として挙げている。国家安全保障に対する脅威とみなされたのは、数名である。国境警備隊の職員は、シェンゲン協定の規定にもとづいて、ウクライナ人のポーランドへの再入国を拒否している。この規定によれば、ポーランドでの90日間の滞在期間を使い切った者は、90日経たなければ再入国ができないことになっている。

SIPの専門家によれば、現在の状況においては、国境警備隊は、ウクライナから来る者に対しては、必要な書類を所持していなくても、人道上の理由から入国を許可する必要がある。協会は、この問題について、国境警備隊に繰り返し申し入れを行なってきた。

さらに50 万人の難民が、ポーランドに避難所を求める可能性がある

今後数週間のうちに、ウクライナからポーランドに入国するための明確な規則が、とりわけ必要となる可能性がある。現在、ポーランドには 100 万人を超える戦争難民がいる。この冬には、ヨーロッパ東部の厳しい冬、激しさを増すロシアのテロ、水・エネルギー・暖房が得られない状況から逃れるウクライナ人がさらに50万人、到着すると推定されている。

人道支援団体は、何か月にもわたる戦争の経験によって心に傷を負い、より多くの支援を必要としている人びとが、ポーランドに避難所を求めることになるであろうと警鐘を鳴らしている。滞在場所を用意すること自体が難しくなる可能性がある。いまなお80,000人の難民が支援施設に滞在しており、その多くが過密な状態で居住している。

【SatK】

ポーランドのドゥダ大統領、プシェヴォドゥフでの爆発について「ポーランドへの攻撃ではなかった。おそらくウクライナのミサイルである」

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執筆:アガタ・コンジンスカAgata Kondzińska
『ガゼタ・ヴィボルチャ』 2022年11月16日 現地時間12:48発
https://wyborcza.pl/7,75398,29146097,prezydent-duda-o-wybuchu-w-przewodowie-to-nie-byl-atak-na-polske.html#S.MT-K.C-B.1-L.1.duzy

「ポーランドを狙ったミサイルではなかった」と、ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領とマテウシュ・モラヴィェツキ首相は揃って認めた。プシェヴォドゥフに着弾したのはおそらくウクライナの地対空ミサイルの残骸であり、「北大西洋条約第4条の適用は必要ないだろう」とも述べた。

火曜の15時40分、ルブリン県のプシェヴォドゥフ村の穀物集蔵場に、少なくともミサイル1機が着弾した。爆発で2名が死亡した。この日、ロシアはウクライナに最大規模のミサイル攻撃を行なっていた。

ドゥダ大統領 「これはおそらく不幸な事故だ」

水曜朝、ドゥダ大統領は、モラヴィェツキ首相と会談した。直後に行なわれた共同の記者会見で、2人の政治家は「ポーランドへの意図的な攻撃であったことを示すものは何もない」と認めた。「これはポーランドへの攻撃ではなかった。1970年代のロシア製のミサイルS-300型であった可能性が高い」とドゥダ大統領は語った。

「ロシア側がミサイルを撃ったことを示す証拠はない」と大統領は強調した。他方で大統領は、「多くの点で、落下した砲弾が対ミサイル防衛に用いられたこと、この砲弾がウクライナ軍によって用いられたことを示している」と語った。「ロシアからの砲撃、ミサイルが飛んでおり、さまざまな方向から機動性のミサイルも飛んでいた。おそらくその一部はポーランドの領土内を飛行し、東に向きを変えたので、ウクライナの対空防衛部隊はさまざまな方向に地対空ミサイルを発射した。それらの1つが残念なことにポーランド領内に落下した可能性がきわめて高い」と大統領は説明した。

さらに次のようにつけ加えた。「この紛争全体がそうであるように、今回も、われわれは、ロシア側によって引き起こされたきわめて重大な衝突に巻き込まれた。したがって、昨日の衝突全体の責任はロシア側にあることはまちがいない。」

大統領は、現場検証から、ミサイルに搭載された爆発物が爆発したのではなく、ミサイルの落下の力とミサイル内に残っていた燃料の爆発が重なった結果と考えられると述べた。

以上は暫定的な結論であることを大統領は認めた。ポーランドの捜査班はアメリカの担当者と協力して調査を行なっている。「これがポーランドへの攻撃であったと言いうるようないかなる証拠も痕跡も存在しない。これはおそらく不幸な事故であった」とドゥダは説明した。

モラヴィェツキ首相 「平静を保ちましょう」

モラヴィェツキ首相はまず、軍と警察は最高度の警戒状態にあることを認めた。爆発が起こったプシェヴォドゥフでは、人員が増員されている。

「われわれは不幸な出来事に巻き込まれた。ポーランド市民が亡くなったのだから」とモラヴィェツキは述べた。そして、ポーランドの捜査班はアメリカの担当者と協力していることをあきらかにした。「[EUとNATO加盟諸国の]首相たちとの話し合いのなかでとくに共鳴したことを強調しておきたい。昨日はウクライナ全土に大規模な攻撃が行なわれた日だった。ミサイルのかなりの部分がウクライナの都市に飛来し、その一部は撃ち落された。半数とも四分の三とも言われるが、砲弾の一部は撃ち落すことができず、いろいろな場所に命中した。この攻撃に対抗するためにウクライナ軍は対空ミサイルを発射した。そのうちの1つが不幸なかたちでポーランド領内に落下したということを多くの証拠が示している。」

首相は、死亡した2名の家族に哀悼の意を表明した。「ポーランドは同盟のなかにおり、同盟は機能した」と首相は述べた。「さらに段階を上げて、北大西洋条約第4条を適用することは必要とされないだろう」とモラヴィェツキはつけ加えた。

北大西洋条約の第4条には、次のように記されている。「締約国は、領土保全、政治的独立又は安全が脅かされていると認めたときは、いつでも協議する。」

首相は、国境近くの住民たちに平静を保つよう呼びかけた。兵員が増強され、上空の防備も強化されるだろうと説明した。「この事態に平静に対処しよう。これがこの状況に対するわれわれの応答である」と首相は強調した。さらにロシアのプロパガンダへの注意を呼びかけた。「それがクレムリンの目標の1つだからだ。」

バイデン米大統領 「ロシアのミサイルではないようだ」

火曜の夕刻、AP通信と多くのヨーロッパの政治家たちが、プシェヴォドゥフに1ないし2発のロシアのミサイルが落下したと伝えた。上空でウクライナの地対空ミサイルによって損傷していた可能性があるとも伝えられた。

しかし、水曜朝、ジョー・バイデン米大統領は、次のように述べた。「詳しい調査が行なわれるまえに予断したくはないが、[ミサイルの]軌道からみて、ロシアから発射されたものではなさそうだ。」

AP通信も、さきの自社の報道を修正し、アメリカの情報機関の情報として、次のように伝えた。「初期段階の調査は、次のことを示している。ウクライナとの国境のポーランド側にあるプシェヴォドゥフに落ちたミサイルは、ロシアのミサイルに向けてウクライナ軍が発射した地対空ミサイルである。」

16日朝の時点では、ロシアによるミサイル攻撃がNATO加盟国に向けられた可能性を排除できず、ニュースを見ながら背筋が凍る思いだったが、ウクライナ側の地対空ミサイルによる誤爆であることがほぼ確実となった。大統領と首相が両並びで記者会見を行なうのはあまりないことで、ポーランド政府にとって事態が容易ならざるものであったことを示している。

現地のTVは見ていないのでわからないが、オンライン版の新聞を読むかぎりでは、ポーランドのメディアは市民に「平静を保とう」と呼びかけることに主眼をおき、予断や憶測にもとづくコメントは掲載せず、全体として抑制の効いた姿勢をとっていたように思う。

【SatK】

プシェヴォドゥフの爆発の後に、なぜ私たちは平静を保たねばならないのか

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執筆:ミハウ・シュウジンスキMichał Szułdrzyński
『ジェチポスポリタ』2022年11月15日付 現地時間23:18発
https://www.rp.pl/komentarze/art37422581-michal-szuldrzynski-dlaczego-musimy-zachowac-spokoj-po-wybuchach-w-przewodowie

ルブリン県における爆発と2名の死亡は、大きなテストである。ポーランドの政権にとって、政治家たちにとって、情報機関にとって、メディアにとって、そして世論にとって。ロシア側は、すべてを詳しく観察し、そこから結論を引き出すだろう。

プシェヴォドゥフでの爆発の第一報が入った瞬間から、多くの専門家とコメンテーターが、平静と忍耐を保つように、と繰り返し呼びかけている。なぜそのような態度がこれほど重要なのか、説明しておくべきであろう。この点からみれば、この砲弾がポーランドを狙ったものなのか、的を外れたミサイルがたまたまポーランド領内に落ちたのか、はたまた、ウクライナ軍によって迎撃されたロシアのミサイルの破片が落ちたのか、といったことによって、さほど大きな違いは生じない。私たちが確実に知っていることは何もない。私たちが知っていることは、ロシアがウクライナに大規模な攻撃を行なった日に、ポーランドで爆発が生じた、ということだけだ。

他方で、確実なのは、ロシア側が私たちの反応を注意深く追っていることだ。彼らは、軍がどのように動くか、国家がどのように機能するか、世論がどのように反応するかを観察している。誰が冷静さを失うか、誰が挑発に成功するか、そして誰が平静さを保つか、を。そして、疑いなく、彼らはそこから結論を引き出すだろう。もしこうした出来事が私たちの国内の状況を不安定にするために役にたつと認めたならば、クレムリンは、将来の行動マニュアルにそのことを書き込むだろう。もしポーランドとポーランド人が冷静さを保つことができれば、彼らは、こうした出来事は自分たちにいかなる利益ももたらさないことを知るだろう。

西側全体がどのように反応するかを、ロシア側が観察していることも、まちがいない。同盟諸国はどのように反応するか、NATOは、そしてとりわけアメリカはどのように反応するか。最終的には、ポーランド、西側、NATO、国連を含めて、すべての関係者が、この状況とそれに対する反応から結論を引き出すであろう。しかし、そのためにはしばらく時間がかかる。さしあたっては、専門家たちの助言を心にとめて、平静さを保つことが重要だ。たとえ、プシェヴォドゥフで爆発が起こってからこれだけの時間がたってなお、じっさいになにが起こったのかについて、これほどわずかなことしか知らないことが私たちを苛立たせるとしても。

ミハウ・シュウジンスキは、新聞記者・ジャーナリスト。2016年から『ジェチポスポリタ』紙の副編集長。1980年生まれ。ヤギェウォ大学哲学科卒。

【SatK】

ロシアはさらなる戦争を望んでいる。よりハードで、厳しく、全面的な戦争を――前線での敗北への反応

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「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年9月13日 執筆者:ヴァツワフ・ラジミノヴィチ*
https://wyborcza.pl/7,75399,28904496,reakcja-na-porazki-na-froncie-rosja-chce-wiecej-wojny-twardej.html

ウクライナでの戦争は転換点を迎えた。しかし、これは、私たちが期待しているような転換点であるとはかぎらない。モスクワでは、ウクライナ軍の成功に対しては、全面的に容赦なくウクライナ人を攻撃することで報復するべきだ、と叫ぶ声が響いている。

ここ数日、ウクライナの反転攻勢の成功のニュースと並んで、「地方議員の反乱」――モスクワとペテルブルクで、地方議員たちがプーチンの退陣を求めるアピールを行なったこと――について、世界的にかなり報道された(訳注1)。

ロシア最大の2つの都市での24名の地方議員の行動は、じっさい高潔なものであり、たいへん勇気のいることである。しかし、その意義はシンボリックなものだ。アピールの署名者は、国会議員ではなく、モスクワの市議会やペテルブルクの立法議会の議員でもない(訳注2)。彼らと同じような地位にある者はロシア連邦には77,500人おり、彼らのなかには、開かれた精神や、プーチンの体制に反対する意見をもっている人たちもいることだろう。

地方議員たちの声は、シンボリックなものだが、小さくて、弱い。プーチンは、まったく慌てることなく、軍隊への「信頼を損なった」罪で、彼らを何年でも獄中にとどめおくことができる。

他方で、彼が対応を迫られるのは、これとは別の叫び声だ。こちらの声は、数が多く、より大きく響き、社会の支持があり、有力な保護者がいるために、抑えがきかない。

アレクサンデル・ドゥーギンも、そういった声の1つだ。彼は、2014年に、ウクライナ人は「殺し、殺し、殺す」必要がある、と叫んでいた。彼の同類たちは、すでに久しく、プーチンと彼の将軍たちを、決断に欠ける、敵に「生ぬるい」と批判してきた。

先週の土曜日から、クレムリンのプロパガンダは、ロシアの人びとに、むき出しでこう訴えている。「敵は前進している。「少なくとも世界第2の軍隊」が、前線でひっぱたかれたのだ」。(ちなみに、自尊心の強いモスクワが「少なくとも世界第2」と公然と言っているのだから、ポーランドで「しょせん2番目だろ」とバカして言うのは、私には理解できない。)

月曜日の夜、クレムリン配下のテレビ局、ロシア第1放送の番組「60分」で、前線での作戦遂行の専門家として、ミハイル・ホダリョノク大佐は、こう述べた。「ドンバスでの退却がなお続いている。ウクライナの攻勢を止めるためには、ロシア軍は自陣の後方の深いところに防衛ラインを築いて、そこに全勢力を新たに結集する必要がある。これが、効果的に戦闘を行なうために不可欠なことだ。」

「絹の手袋」をはずす時が来た

プロパガンダの語り口がとつぜん変わった。これまでは、TV放送やクレムリンの専門家たちは、ロシアはウクライナで「軍事的標的」だけを攻撃している、と語ってきた。そして、もし学校や病院や住宅にミサイルが命中した場合には、それはそこに「ネオナチ」が布陣していたからだ、と説明してきた。

いまや、彼らは憤激してこう問いかける。なぜ、敵国では、相変わらず鉄道が運行し、電気や水道がとおり、橋がかかったままで、キーウの政府中枢の所在地もそのまま残っているのか、と。いまこそ指揮官たちは「絹の手袋」をはずして、「人道的な戦争遂行のやり方」など忘れて行動するべきではないのか、と彼らは呼びかける。

TV番組「60分」の司会者であるオルガ・スカビェーヴァは、月曜日の放送のゲストたちが、3時間にわたって、敵の「不可欠のインフラ」と「マン・パワー」〔原文は直訳すると「生きた力」〕を叩き潰すために全面的な容赦のない戦争に乗り出すべきだと要求したことを受けて、こう叫んで番組を締めくくった。「ロシアはハードで厳しい戦争を求めている!」

プーチンは、ウクライナからの撤退は自分の終わりであることを知っている

「少なくとも世界第2の」軍隊が面目を失ったことに震撼させられたクレムリンは、イゴール・ガーキン(別名ストレルコフ)のような極端なタカ派の主張を受け入れている。ガーキンは、軍と競合しているロシア連邦保安庁の保護のもとに、久しく以前から平然と、不手際な指揮官たちを嘲笑し、ショイグ国防相を「ボール紙製の元帥」呼ばわりし、総動員令を布告せよ、国の経済を戦時体制に切り替えよ、と要求している。

プーチンは、ウクライナの前線での敗北が彼にどれほどこたえたにしても、妥協することはないであろう。なぜならば、妥協は彼の終わりを意味するからだ。どこかにいるリベラルや不満を抱いているオリガルヒの圧力などではなくて、まさしくタカ派の圧力のもとに、プーチンは、ショイグ国防相やゲラシモフ参謀総長のような老人(ともに67歳)を、もっと若い将軍――たとえば、手際よくクリミアの併合をやってのけた軍人たち――にすげ変えるだろう。そして、冬が来るのを待ちうけるのだ。

冬が来れば、モスクワの計算では、爆撃で破壊され、組織が解体し、凍えたウクライナは、それだけでもずいぶん弱くなるだろう。爆弾と爆撃機をたくさんもっているロシアは、キーウやスームィをいつでも1945年2月のドレスデン(訳注3)に変えることができる。すべてを賭けて戦っているプーチンは、このような残虐行為も辞さないであろう。

クレムリンは、ロシアからのガス供給を断たれた西側の社会が冬の寒さに反乱を起こして、自国の政府にキーウの政府への支援を止めるように圧力をかけることも計算に入れている。

この戦争は――ポーランドで支配的な楽観論に反して――終わることはない。それはさらに激しさを増すだろう。

*執筆者であるヴァツワフ・ラジミノヴィチ(Wacław Radziwinowicz)は、ポーランドのジャーナリスト。1997年から「ガゼタ・ヴィボルチャ」の特派員としてロシアに派遣されていたが、 2015年12月にロシア政府によって国外退去を命じられた。

(訳注1)ロシアの地方議員の声明については、日本でも報道されている。
「「プーチン氏は反逆罪」 声上げるロシア地方議員 政権は締め付け強化」(朝日新聞デジタル 2022年9月12日 6時58分)
「プーチン氏の地元サンクトペテルブルクで7日、7人の地区議員が、プーチン氏の行動が「国に害を及ぼし、反逆罪を示している」として、ロシア下院に弾劾(だんがい)するよう要請した。その後、うち5人が警察の取り調べを受け、「ロシア軍の信用失墜」の罪で起訴された。
 また、モスクワの区議グループも8日、プーチン氏や部下を「ロシアを冷戦時代に逆戻りさせ、再びロシアは恐れられ、嫌われ始めた。我々はまたも核兵器で世界を脅かしている」と批判。「あなたの考えや統治モデルは絶望的に時代遅れで、ロシアの発展を妨げている」として、退任を要求した。」
https://digital.asahi.com/articles/ASQ9D25S0Q9DUHBI003.html

(訳注2)アピールに署名したのは地区レベルの議員(日本でいえば区議会議員)であって、国政やモスクワやペテルブルクの市政を左右するような力はもっていない、ということを言いたいのであろう。

(訳注3)第二次世界大戦の終盤、1945年2月13日から15日にかけて、連合国軍(英・米の重爆撃機)が、ドイツ東部の都市ドレスデンを爆撃した。無差別に行なわれた爆撃によって、ドレスデンの市街地の85%が破壊されたとされる。

9月に入ってから、ウクライナ東部でウクライナ軍の反転攻勢が続いている。14日には、ゼレンスキー大統領が、解放された都市イジュームを訪問した。
https://wyborcza.pl/7,75399,28910348,zelenski-w-izium-mozna-zajac-ukraine-ale-nie-da-sie-okupowac.html
ウクライナ軍の攻勢を受けて、ポーランドのメディアでも、戦争の行方について楽観的な論調が目につくようになった。これに対して、この記事の執筆者は、ロシア軍の退却に対する反作用として、ロシアの政府系メディアで強硬派の発言力が強まっており、今後、戦争がさらに激しさを増し、長期化する可能性があることに注意を促している。

ロシア国防省は、イジューム周辺からの撤退を「部隊の再編成」として発表した。日本のメディアでは、「旧日本軍が「撤退」や「敗走」を「転進」と呼んだことが思い出される」というコメントもみられる。
https://digital.asahi.com/articles/ASQ9C6CYWQ9CUHBI00H.html
「部隊の再編成」という表現にはたしかに現実を糊塗する機能がありそうだが、訳者には、日本とロシアでは戦争の記憶の構造が異なっているかもしれないことが気になっている。
太平洋戦争で旧日本軍が「転進」し続けて敗戦に至ったのとは異なり、ロシアの歴史には、広大な自国の領土の奥深くまで退却を続けて敵軍を呼び込んだうえで撃破し、最終的に勝利するという経過をたどった戦争がいくつもある。ナポレオン戦争も、第二次世界大戦(ロシア政府のいう「大祖国戦争」)も、退却を重ねたうえで、消耗した敵を倒して勝利をおさめた戦いだった。
この記事のなかで、TV番組に出演したロシアの軍事専門家が「ロシア軍は自陣の後方の深いところに防衛ラインを築き、そこに全勢力を新たに結集する必要がある」と述べていることは、このようなロシアの戦争の歴史をふまえると、意味深長である。いま起こっていることはまぎれもなくロシア軍の軍事的撤退だが、ロシアの世論は、それをもって「われわれは敗北しつつある」とは受けとめない可能性がある。

訳者としては、プーチンの戦争に異議を唱えたモスクワとペテルブルクの地方議員たちの勇気ある行動に敬意を表しつつ、ポーランドのメディアをとおして、ロシア社会の変化を注意深く見つめていくしかない。

【SatK】

プーチンに支援された指揮者、沈みかけた船から逃げ出す

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「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年8月3日 執筆者:アンナ・S・デンボフスカ*
https://wyborcza.pl/7,113768,28753228,dyrygent-finansowany-przez-putina-ratuje-swoja-kariere-i-ucieka.html

議論を呼んだザルツブルク音楽祭の幕開けから1週間、今年の音楽祭のスターであるギリシア出身のロシアの指揮者、テオドール・クルレンツィスが、新しいオーケストラを創設すると表明した。クレムリンとの関係をめぐって高まる非難の声への対応とみられる。

テオドール・クルレンツィスは、キッチュすれすれの解釈でモーツァルトやベートーヴェンを演奏して衝撃を与え、クラシック音楽界のアンファン・テリブルとして知られている。すでに10年ほど前から「生粋の挑発者」と言われてきた。

スキンヘッドで登場したかと思うと、次は長髪に編み上げ靴に変身するなど、この指揮者は人を驚かせるのが好きだが、音楽界では、彼の反抗的な姿勢――批判的な人たちに言わせれば、安上がりに喝采してもらおうとする態度――はすでにお馴染みの風景となっている。50歳となった挑発者は、目下、別の問題を抱えている。

非難の的となったテオドール・クルレンツィス

ギリシア出身のこのロシアの指揮者をめぐる論争が大きくなったのは、彼がロシア政府と間接的につながっていたためである。クルレンツィスは、西側の世論の圧力に屈せず、ウクライナでのクレムリンの軍事行動を非難しなかった。ここ数か月、彼がプーチンの機嫌を損ねないように高度の外交を駆使しなければならなかった理由は、この指揮者が率いるペルムの合唱団とオーケストラ「ムジカエテルナ」が、クレムリンによってコントロールされたVTB銀行〔モスクワのメガバンク〕によって財政的に支えられてきたことにある。

VTB銀行は、アメリカの対ロシア制裁対象のリストに入っている。この銀行は、クルレンツィスと彼の楽団にとって、気前のよいスポンサーであった。音楽家たちは、ロシアがすばらしい文化をもっていることを誇示するクレムリンのソフトなプロパガンダの道具となり、プーチンが輸出する「商品」の1つとなっていた。

ザルツブルグはプーチンのお気に入りの邪魔をせず

ザルツブルク音楽祭への招聘は、クルレンツィスの活動への高い評価のあらわれの1つである。この招聘は、この名高い音楽祭の芸術監督マルクス・ヒンターハウザーによって、すでに数年前から行なわれている。

戦争が勃発して、ロシアの体制とつながりのあるロシアの音楽家のコンサートはキャンセルするべきだという世論の圧力の高まりにもかかわらず、今年の音楽祭でも、この招聘は撤回されなかった。そのさい、ザルツブルク音楽祭の主催者は、音楽祭のオープニングに、クルレンツィスが合唱団とオーケストラ「ムジカエテルナ」を率いて登場し、ロメオ・カステルッチの演出によるベラ・バルトーク『青髭公の城』とカール・オルフ『時の終わりの劇』の2部作の初演を行なう予定である、と発表した。

最終的に、音楽祭の主催者は、オーケストラを「ムジカエテルナ」からグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団に代える、という1点についてのみ、譲歩した。

7月26日、ザルツブルク音楽祭のオープニングで、クルレンツィスの指揮のもと、2部作の初演が行なわれた。出演者には依然として「ムジカエテルナ」の合唱団が含まれていたが、オーケストラは、マーラーの名称を掲げた若者たちの管弦楽団に代わっていた。

「ニューヨーク・タイムズ」の伝えるところでは、聴衆は、議論を呼んだ指揮者の登場をスキャンダルや場違いなこととはみなさず、その反対に、上演全体をつうじて、熱烈にブラヴォーを叫び、熱狂的な拍手を送ったという。

しかし、メディアの反応は、聴衆とは異なっていた。イギリスの「ガーディアン」は、クルレンツィスの登場は、この指揮者がクレムリンからの資金で生きており、戦争を非難してこなかったというまさしくその理由ゆえに、世界で最も重要な音楽祭の1つのオープニングに影を投げかけた、と書いた。

ザルツブルク音楽祭は、今年の春以来、国際的なメディアの砲撃にさらされてきた。主催者たちは、クルレンツィスをプログラム上で売りものとして残していることを非難されたが、それだけでなく、彼ら自身が、クレムリンとつながりのある基金のおこぼれにあずかって生きていることも批判の的となった。

音楽祭側は、そのような基金からのお金は催しの予算の全体からみればほんの一滴にすぎず、主たる収入源は公的機関からの補助金とチケット収入であると弁明した。じっさい、チケットはたいへん高価で、オペラであれば、いちばん高い席で、1演目につき300から400ユーロになる。

問題を抱えているのはザルツブルクだけではない。ウズナム島の音楽祭と若者たちのオーケストラ「バルト海フィルハーモニー」が、ガスパイプライン「ノルト・ストリーム2」に関連する複数の企業によって財政的に支援されていることについては、3月に本紙で記事にした。** それらの企業の1つはフランスの「エネジー・エナジー」で、この会社はさらにもう1つの有名な音楽祭――ナントの「ラ・フォル・ジュルネ」の共同スポンサーでもある。

クルレンツィスは新しいオーケストラ「ユートピア」を思いつく

クルレンツィス自身は、慎重に振る舞おうとしている。月曜日、彼は、これから率いることになるオーケストラのためのスポンサーを確保したと発表した。新しいオーケストラの名称は「ユートピア」だ。

「ニューヨーク・タイムズ」によると、このオーケストラは、28か国から112名の演奏者によって構成される。そして、楽団とそのコンサート・ツアーの経費は、寄付とチケット販売の収入によって賄われる。指揮者は、これは「実験」になるだろうと、予告している。このオーケストラは、ようやくこれから自分自身の響きと性格を探っていくことになるのだから、と。

他方で、「ムジカエテルナ」がどうなるかは、まだわかっていない。ザルツブルクでの出演が撤回され、4月にウィーンのコンツェルトハウスでのコンサートもキャンセルになったことを考えると、この楽団の将来は、少なくとも西側では、明るくないであろう。

一方、クルレンツィスは、まさしく沈みかけた船から逃げ出すことによって、自分のキャリアを救うチャンスをつかんだ。加えて、彼は、シュトゥットガルトに本拠地をおく西南ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester)の首席指揮者の地位も保っている。

議論を呼ぶ録音

合唱団とオーケストラ「ムジカエテルナ」は、2004年に、当時ノヴォシビルスク・オペラ・バレエ劇場の総監督だったクルレンツィスの発案で、ノヴォシビルスクで創設された。2011年、クルレンツィスがウラル地方の都市ペルムのオペラ・バレエ劇場の音楽監督の地位に就くと、「ムジカエテルナ」も彼についてペルムに移動した。

彼らはいっしょに、モーツァルトの歌劇や、ベートーヴェンの交響曲、ストラヴィンスキーの『春の祭典』などを録音し、それらのディスクは解釈をめぐって議論を呼んできた。

しかし、クルレンツィスが指揮したモーツァルトのレクイエム(2011年、Alpha)は、まちがいなく、このきわめてよく知られ、競い合って演奏されてきた作品に対して、最も興味深い解釈を示した録音の1つである。

*アンナ・S・デンボフスカ(Anna S. Dębowska)は音楽ジャーナリスト。2002年から「ガゼタ・ヴィボルチャ」に執筆。「ベートーヴェン・マガジン」編集長。ワルシャワ出身。音楽と演劇論を専攻。

** 「ガゼタ・ヴィボルチャ」、2022年3月22日付の記事「ウクライナのために寄付を集めます。ただし、ノルト・ストリームが長年にわたって財政支援してきました」
https://wyborcza.pl/7,113768,28249387,finansowana-przez-nord-stream-2-ag-orkiestra-baltic-sea-philharmonic.html#S.embed_link-K.C-B.1-L.4.zw
ロシアのウクライナ侵略によって、政治と芸術の関係があらためて問われています。

ウクライナでの戦争に対するクルレンツィスの沈黙をめぐっては、すでに春の段階で問題化していたようです。
「クルレンツィス指揮ムジカエテルナのパリ公演は中止」(2022年4月22日)
https://mcsya.org/paris-cancells-musicaeterna/

5月にNHK交響楽団の定期公演で演奏したロシアのヴァイオリニスト、アリョーナ・バーエワは、胸にウクライナ・リボンを付けて舞台に登場しました。

「西側」で演奏するために自国の音楽家が踏み絵のような意思表示を迫られる事態を招いたこと自体が、ロシアが引き起こした目下の戦争の罪の1つだと思います。

【SatK】

学校でウクライナの歴史と文学が消されていく――占領地におけるプーチン式教育

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「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年5月27日 執筆者:Fabio Tonacci*
https://wyborcza.pl/7,179012,28508276,putinowska-edukacja-na-okupowanych-terenach-w-szkolach-kasuje.html
*「ラ・レプブリカ」(La Repubblica)からの転載記事

ウクライナの生徒たちから過去が奪われている。ロシアによって占領されたメリトポリで学校が再開されたが、ウクライナ史とウクライナ文学がカリキュラムから消えた。すでにそれらの科目は教えられておらず、それらのテーマにかかわる本を学校に持ち込むことは禁止されている。

* * *

「ウクライナがどのように成立したか、私たちに言語を与えてくれた詩人たちはどのような人たちか、ということをわれわれの子どもたちが知ることを、彼らは望んでいません」と、メリトポリ第4高等学校の校長アンジェリーナ・コワレンコは述べる。「理由ははっきりしています。知識が少なければ、それだけ容易にわれわれをコントロールし、操作できるからです。」

ロシア軍はまず彼女を連れ去り、2日間拘束した。釈放された後、校長は町から逃れた。日が経つにつれてロシアの占領に対する反発をますます強めている教師たちや、プーチン的な教育の導入に身震いしている保護者たちと、彼女はコンタクトをとっている。ロシアの大統領のイメージに従えば、ウクライナの「新人類」(Homo novus)は、1991年のウクライナの独立宣言について知っている必要はない。さらに、第2次世界大戦後に定められ、2014年のクリミア併合まで維持されていた国境線についても、ソ連とは本当はどのような国だったかについても、悲劇的なホロドモール――1930年代にモスクワが「ヨーロッパの穀物蔵」であったウクライナにもたらした大飢饉――についても、知る必要はないのである。

「新人類」は、ウクライナの詩聖タラス・シェフチェンコが書いた作品を読むべきではない。これらはすべて、あまりにも危険である。これまでの過去を消し去り、新たに過去を書き記すほうがよい。

学校は閉鎖され、そして再開された――まったく異なるカリキュラムのもとに

コワレンコ校長は58歳で、30年にわたって物理を教えてきた。彼女の学校は、メリトポリに21校ある中等教育を行なう公立校のうち最大規模の学校で、ギムナジウム(実科学校)とリツェウム(高等学校)を合わせて1,167名の生徒が在籍している。ただし、この数字は、ロシアの侵略以前のものである。過去15年間、コワレンコはこの学校の教員だった。

「この文章には、現在形を使ってください」とコワレンコは要請した。「私は今はキーウにいますが、まだこの学校の校長です。ロシア軍は、協力者を私の地位に据えましたが。」

5月2日、占領者はまず、学期の終了を発表した。しかし、5月半ばに、ロシアの軍政部は学校を再開することを決定した。

「彼らは、カリキュラムを最後まで教えることをわれわれに許可しましたが、ウクライナ史、世界史、文学は教えないという条件付きでした。そして現在、われわれの学校には20人の生徒しか通っておらず、授業はロシア語で行なわれています。」

この点については、メリトポリに残っている教員の1人から裏づけがとれた。ただし、彼女も、ロシア軍が町を占領してから、学校では教えていない。

「学校の入り口にはロシア連邦の国旗が掲げられています。」身分を明かさないという条件のもとで、彼女はこう証言する。「ロシア軍は、学校の入り口に、コサック親衛隊を配置しています。メリトポリの市内には、運営するスタッフのいる学校は3校しか残っていません。占領者には、代わりを見つけることがむずかしかったのです。そのため、現在では、警察官が校長になっている学校とか、物理の教師が数学と外国語を教えるような学校しか開いていません。」

教員の連れ去り

ロシア軍は、2月25日に、クリミアから戦車でこの町に乗り込んできた。第4高等学校の校長のケースは、ロシア軍がどのような教育的手段を用いているかを、よく示している。

「3月半ば、校長室に、ライフル銃をもった男が2人、現れました。彼らは私に、メリトポリはもはやウクライナの都市ではない、教育のカリキュラムは変更しなければならない、と言いました。私は呆然自失しました。その後まもなく、ロシア軍はザポリージャ州の教育局長イリーナ・シチェルバクを拘束しました。彼らは彼女をガレージに監禁して、長時間にわたって尋問しました。彼女は協力を拒否しました。その後、彼女がどうなったか、わかっていません。」

3月31日に、親ロシア派の新しい局長が、すべての校長と教員が参加する会議を召集した。これは結果的に失敗に終わった。校長や教員のほぼ全員が辞表を提出したからである。

「新しい局長は激怒して、復讐してやると誓いました…」とコワレンコは語る。その夜、兵士の一団が彼女の家のドアを打ち破った。

「そうなることは予想していました。彼らは協力しない教員を連行しました。私と合わせて4人がいっしょに捕まって、2日間、病院のガレージに閉じ込められました。そこには椅子が1脚しかありませんでした。与えられたのは、ティーバッグ2つとティーポット、賞味期限を過ぎたビスケットが少しだけです。隣の部屋では誰かが殴られていて、不運なその人の悲鳴を私たちは聞かされました。私たちは拷問を受けませんでしたが、新しい教育システムの妨害をしていると責められました。4月2日、彼らは私たちを目隠しして車に乗せて外に連れ出し、夜、携帯電話も水もない状態で、私たちを置き去りにしました。そこは町から30キロ離れた麦畑でした。」

彼女は歩いてメリトポリに戻り、1週間後にキーウに移動した。現在でも彼女はメリトポリの学校の校長であると自覚している。しかし、その彼女の学校では、彼女の国の過去は消されてしまった。

イタリア語からポーランド語への翻訳:バルトシュ・フレボヴィチ(Bartosz Hlebowicz)

この記事を読むと、ロシアによるウクライナ侵略が、物理的な空間の占領と破壊だけでなく、プーチンの意向に沿った「新人類」の育成――教育をつうじてのウクライナの精神的・知的・文化的・言語的な遺産の破壊、ウクライナ史の抹消と書き変えによるロシア化――を目指すものであることがわかる。標的となっているのは、ウクライナの言語・文学・歴史である。

プーチンの「新人類」育成政策は、19世紀にロシア帝国が行なった「公定ナショナリズム」政策を思い起こさせる。ロシアの帝室科学アカデミー総裁で文部大臣も務めたセルゲイ・ウヴァーロフ(1786~1855)は、〈正教・専制・国民性〉という3本柱の教育理論を唱導し、これが政府の文教政策の基本思想となった。この場合の「国民性」とは「ロシア帝国の臣民」であることを意味する。この路線は言語教育にも適用され、19世紀後半には、ウクライナ語は、ポーランド語によって汚されたロシア語方言と見なされて存在自体が否定され、学校でウクライナ語を教えることが禁止された。
現在ウクライナの占領地で行なわれつつある「プーチン式教育」もまた、軍政上の必要による一過性のものというよりも、プーチンの論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」で示された歪んだ歴史認識を基本思想とする文教政策の一環ではないだろうか。

※近現代のナショナリズムについては、1980年代以降、人文・社会科学の諸分野で、批判的な視点からの研究が積み重ねられてきた。歴史学も例外ではなく、19世紀以降のナショナル・ヒストリー(国民史・民族史)が抱える問題点が認識されるようになり、さまざまな角度から批判的な検討が加えられてきた。ナショナルな境界を越える歴史の研究や叙述はどのようになされるべきかが国際的に議論され、研究者によって実践もされてきた。
今回のロシアによる占領下の文教政策は、世界中の研究者が参加して何十年にもわたって行われてきた議論の積み重ねを、一気に力づくで突き崩す暴挙である。

20世紀を代表する歴史家エリック・ホブズボーム(1917~2012)も、ナショナル・ヒストリー批判の一翼を担った1人であった。彼が1993/94 年次にブダペストの中部ヨーロッパ大学で行なった講義「歴史の内と外で」は、現在の状況のなかで読み返されるべき文章の1つではないだろうか。
「ケシがヘロイン中毒の原料であるように、歴史は国家主義的イデオロギーや民族主義的イデオロギーや原理主義的イデオロギーの材料になる。(…)昔の私は、歴史研究という職業は、たとえば原子物理学とは違って、少なくともなんの害も与えることがないと考えていた。ところがそうではなかった。私たちの研究は、IRA が化学肥料を爆薬に変えることを学んだ集団実習室と同じような爆弾工場になることが可能なのである。この事態のなかで、私たちがしなければならないことは二つある。私たちは歴史的事実一般にたいして責任を負わなければならない。また私たちは歴史を政治的イデオロギーのために悪用することを批判する責任を負わなければならないのである。」(『ホブズボーム 歴史論』(原剛訳)、ミネルヴァ書房、7~8頁)

【SatK】

ロシアの社会学者「ロシア人の多くがプーチンを支持している? いや、事態はもっと深刻だ」

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「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年5月14日
インタビューアー・執筆者:ヴィクトリア・ビェリャシン(Wiktoria Bieliaszyn)
https://wyborcza.pl/7,75399,28447387,rosyjski-socjolog-rosjanie-masowo-popieraja-putina-jest-jeszcze.html#S.tylko_na_wyborcza.pl-K.C-B.2-L.1.maly

「最近、ロシアの政権に近い人たちがポーランドについて語っていることを、私はきわめて深刻に受けとめています。プーチンのウクライナ侵攻がある程度に成功すれば、ポーランドが次の標的になるでしょう」と社会学者グリゴリー・ユージン*は指摘する。

*グリゴリー・ユージン(Grigory Yudin)はロシアの社会学者。モスクワ経済学・社会科学高等学院の教授。

* * *

ビェリャシン: 「ロシア人・イコール・プーチン」――ポーランド人からしばしばこんな意見を聞くのですが…

ユージン: それこそまさにプーチンが耳にしたいと望んでいることです。彼が必要としている状態です。しかし、真実ではありません。

ビェリャシン: 「ロシア人は戦争を支持している」――これがきわめてしばしば耳にするもう1つのフレーズです。どれくらい真実なのでしょう?

ユージン: それにお答えするには、まず、ロシアの社会と権力システムがどのように構築されているかを説明しなければなりません。
最近まで、この体制は、次のように記述することができました――国家の頂点にすべてを決定する指導者が立っていて、国民の役割はその決定を批判なしに支持すると表明することである。同時に市民は、ロシア社会が土台から非政治化されているために、皇帝のようにみなされる指導者がどのような決定を下すかには、それほど関心を払わない。ロシア人の圧倒的多数は、政治について考えるのは意味がないと思っている。なぜならば、政治はうす汚れた危険なしろもので、それに対して自分たちにはいかなる影響力もないからだ、と。

ビェリャシン: 大統領は完全に自分で自由に決められるのですか?

ユージン: 仮にウラジーミル・プーチンが2月24日にルガンスク・ドネツク両州の領域が何らかの理由でウクライナに復帰するべきだと決定したとしても、世論調査に示される彼の行動への支持率は今と同じでしょう。ですから、これを何か意識的な支持だとみなすことは難しいのです。これは単なる喝采のようなもの、ロシアで従うべきとされてきた不文律への適応なのです。そして、戦時にはこの規範はいっそう強いものになります。

ロシア人は政治とかかわり合いを持ちたくないのです。彼らが抱いているのは、宿命論と、ある種の無関心です。それ自体たいへん困ったことですが、いわば病気のようなものです。もし今、みなさんが、すべてのロシア人は血に飢えた怪物のようなものだと考えているとすれば、それは大きな誤りです。そのようなロシア人はきわめて少数です。大多数は完全に受け身で、何らかの積極性を発揮するとしてもプライヴェートな問題に限られると考える人たちです。

ビェリャシン: では、世論調査はロシア社会の意見を探る情報源にはならないと?

ユージン: 「あなたは特別軍事作戦を支持しますか?」というアンケートの質問に否定的に答えれば、深刻な結果に直面する危険がありますからね。人びとにはそのことがわかっているのです。それでもなお危険を冒す用意のある人たちはたくさんいますが、みな、誠実に答えることは権力に歯向かうことだと自覚しているのです。なので、相当数の市民たち、より勇気のある人たちは、質問に答えることを拒否しています。世論調査の回答率はたった15%ほどに過ぎないということを知っておく必要があります!

しかし、国外では、これらの世論調査が参照されます。そこにいかなる意味もなく、そこで測られているのはロシア人の恐怖のレベルであって、政権への支持ではないのですが。
ロシア人は常にこの種の質問には「はい」と答えるものなのです。今日の時点では特別軍事作戦を支持すると言い、明日、プーチンがウクライナをロシア連邦の領土の一部として併合すると決定すれば、その決定を支持すると言うでしょう。

ビェリャシン: そんなに恐怖が強いのですか?

ユージン: まちがいなく。しかし、それだけではありません。もし恐怖によって抑えられているのでなければ、圧倒的多数のロシア人は積極的に抗議する用意があるのか、といえば、かならずしもそうではないのです。現実には、人びとはたいていは「こういったことすべてにかかわり合いたくない」のです。

ロシアでは、世論調査は、いわゆる政権への支持をデモンストレーションするためにのみ、行なわれているのです。あたかも国民が大統領に賛成しているかのような幻影を作りだすためです。私たちは現在、このやり方が効果をあげているのを目にしているわけです。もし読者があなたに「ロシア人は戦争を支持しているじゃないですか」と言うのであれば、それは、クレムリンがこの手段をたいへん巧みに利用していることを意味しているのです。数年前であれば、ロシア人は、世論調査を、国家とコミュニケーションをとる方法として受けとめていたかもしれません。しかし、今日では、誰も国家と何らかのコンタクトをとりたいと望んでいません。

ビェリャシン: 政権は、社会に対して、この先どんなふうに「働きかける」のでしょうか?

ユージン: ロシアの文脈では、私たちは「社会」という言葉をまず忘れてみるべきですね。ロシアには社会はありません。そこには、自分の問題で手いっぱいのたくさんの人たちがいるだけです。
公的機関や国営企業で働いている人たちは、ウクライナでのロシアの行動についてどのように語るべきか、きわめて具体的な指示を受けています。自分自身、そして自分の上司や同僚に損にならないようにふるまうためです。ウクライナに親戚がいる人たちは、しばしばそのことに触れないようにしています。周囲にわかると疑いの目で見られるからです。ロシアとウクライナにまたがる多くの家族が、そのために崩壊しました。ロシア側で暮らす家族のメンバーが、ウクライナ側に残っている家族と完全に接触を断つことも珍しくありません。コンタクトをとると危険だからです。

ビェリャシン: 戦争が始まったときには、私たちは、ロシア人は本当のところは何が起こっているのかを知らないに違いないと考えていました。独立したメディアの情報にアクセスする手段もなさそうでしたから。でも、すでに多くの時間が経過し、プロパガンダを流す人たちの語りはますます攻撃的になるばかりです。少しでも行間を読む力があれば、たとえ国営放送のニュースを見ていたとしても、現実は明々白々ではないかと思うのですが。

ユージン: ロシアの人たちは、だいたいすべてわかっていますよ。彼らを愚か者のように考えるべきではありません。しかし、何のために、いかなる影響力も持たないことについて何かを知る必要があるのでしょう?

圧倒的多数のロシア人は、プーチンが何かを決めたのであれば、押しとどめることはできないと考えています。もし彼が地球を粉砕すべきだと考えたとしても、ロシア人は、やれやれそれは困ったことだ、でもそれが運命だ、仕方ない、と考えるのです。
そうなるには、原因があるのです。ここ22年のあいだ、ロシア人は何度もプーチンのやり方を阻止しようとしましたが、一度も成功していません。2011年には、プーチンが大統領の地位に復帰しないように、大規模な異議申し立てをしました。ロシアがクリミアを併合した2014年にも、政権の腐敗を告発したアレクセイ・ナワリヌイが逮捕された2017年にも、政権が国家院の選挙で独立派の候補を認めなかった2019年にも、ナワリヌイが投獄された2021年にも、異議を唱えました。

そのたびに、抗議する人びとは治安警察に殴られ、投獄されました。他方でプーチンは、国外から支持をとりつけ――たとえば新たに天然ガスを輸出する巨額の契約を結んだりして――、その資金で国内の抵抗を締めあげるのです。人びとは繰り返し、身にしみてわかったのです。もしプーチンが何かを欲すれば、それをやり遂げるのだ、ということを。自分たちが何をやろうと、何を危険にさらそうと、いかに自分を犠牲にしようと、そんなことにはお構いなしに、やり遂げてしまうのだ、ということを。

ビェリャシン: つまり、現在私たちが目にしていることについては、西側にも責任があるということですか?

ユージン: 世界が、ロシア人の問題を、彼ら自身に代わって解決することはないでしょう。私たちロシア人が、起こってしまったこと、起こっていることに責任を負っているのです。ウクライナの都市を爆撃しているのは、ロシアです。しかし、プーチンはロシアだけの問題ではなかったということは意識する必要があります。

少なくともプーチンが抗議活動を鎮圧することを後押ししないことはできたはずだ、と私は思います。彼が強権的な統治する余地を金で買うことを許さないことができたはずです。実際には、彼は、西側と取り引きして、西側から容認と沈黙を買い付けたのです。西側は、ロシアの政治エリートやオリガルヒをもろ手を開いて受け入れ、そこから利益を得たのです。プーチンは、エリートが貪欲な人たちであることをよく知っていました。誰かが何かに同意しなければ、さらに金を積んで提案する必要があることもよくわかっていました。

ビェリャシン: ふつうの人たちはそのことを意識していますか?

ユージン: ロシア人は何を考えるべきだと? ロシアで人びとの追跡を可能にする巨大なシステムを構築したのは、ノキア〔フィンランドに本拠地をおく通信インフラ開発企業〕ですよ。政府は、このシステムを使って、体制に反対する人びとを追跡しているのです。別の例を挙げましょうか。ロシア政府は、ナワリヌイを逮捕しました。国内の状況を変える力をもち、この戦争を防ぐことができたかもしれない人物です。その彼が逮捕された後に、ドイツは、エネルギー資源の調達のために、数十億ユーロとも言われる新たな契約をプーチンと結んでいるのです。

クレムリンが、これらの金を、ナワリヌイのような人たちを弾圧するために役立てていることを、人びとは知っています。プーチンは、民主主義的価値のために戦っていると称している人たちとさえ交渉し、西側のエリートを買収できるとすれば、街頭に出て闘うことに何の意味があるでしょうか?

ビェリャシン: おそろしく苛立たしい状況ですね。

ユージン: ロシア人は、多くを知りすぎて、それで政治について意見を持つと、問題を抱えることになりうるということを学んできたのです。彼らにとっては、これは生きていくうえで考慮するべきことなのです。ですから、ロシア人は、ウクライナで何が起こっているかを推測はしますが、この問題についての情報に接しないようにしているのです。なぜならば、何かを変えることができるとは彼らは信じていないからです。すべてを知っているのに無力であるという状態に耐えることは困難です。考えないほうが楽なのです。

ビェリャシン: では、国家によるプロパガンダは?

ユージン: ロシアのプロパガンダが人びとに語っているのは、誰も信じるべきではない、ということです。ロシアのプロパガンダも含めてです! ロシアのプロパガンダは、20年以上にわたって、ロシア人に、誰もが嘘をついている、真実など存在しない、と教えてきました。人間の課題は、より楽に生きることができるような出来事の解釈を選ぶことだ、と。より居心地のよい嘘を選びなさい、と。

プロパガンダを行なう人たちは、ロシア人に対して、自分たちは嘘をついているが、少なくともより心地よい嘘を提供しているのだ、ということをわからせてきました。もちろん、遠方の貧しい地域の人びとは無批判にプロパガンダを信じていますが、圧倒的多数の人たちはむしろ情報を避けようと努めているのです。

ビェリャシン: そのことは、ロシアが置かれている状況についての人びとの認識にどのように影響しているのでしょう?

ユージン: 一部の人びとは、ロシアに対する制裁が導入されているのは、西側がロシアを憎んでいて、ロシアを貶めようとしているためだ、という説明を選択しています。プーチンは、このような論法で、西側による被害者だと感じることには正当な理由があるというロシア人の思いを強化しているのです。制裁によって社会を教え導こうとしても、効果はないでしょう。なぜならば、社会に対して、祖国とソーセージとどちらが好きか、という問いへと導くことになるからです。多くの人がどう答えるかはあきらかです。

西側がこれから何をするかは、重要ではありません。何をしても、また侮辱されたと受けとられるでしょうから。

ビェリャシン: 制裁はまちがいだったとお考えなのですか?

ユージン: いいえ、そうは考えていません。ただ、制裁に期待することがまちがっていたのです。制裁を科しても、ロシア人が街頭に出てプーチンを打倒するということにはなりません。しかし、もし制裁が今後も続けて導入され一貫して執行されていくならば、プーチンの戦争マシーンの動きを確実に制約することができるでしょう。

しかし、大企業は建前上はロシアから撤退しましたが、彼らの店舗の店先には、速やかに営業を再開することを約束するポスターが貼られています。ロシアで勤務するグローバル企業のマネージャーたちは、できるだけ早期に再開するための交渉を続けています。制裁は一時的なものに過ぎないという感覚を、すべての人が持っています。
自分の財布のなかにプーチンの政策の影響を感じるようになってはじめて、ロシア人は何らかの不満を表明する気持ちになるでしょう。

ビェリャシン: ロシア社会についてのあなたの描写をうかがっていると、「教え込まれた無力さ」という表現が思い浮かびます。何に対しても影響力はないし、行動しても無意味だ、なぜならば、どんなことをやろうとしても失敗に終わるのだから、という感覚ですね。

ユージン: 「教え込まれた無力さ」は、ロシアの社会の全体を覆う特徴であり、おびただしい数の人たちを無力な存在にしています。それゆえにこそ、いかなる理由があろうとも戦争に反対するだけでなく、戦争を止めてウクライナを助けようとして積極的に行動する人びとの存在に気がつくことが重要です。そのような人びとはけっして少数ではありません。彼らの多くが、そのように行動するがゆえに国を去らなければならなくなっているとしても、です。
公論の領域、つまり、音楽家、科学者、スポーツ選手、企業経営者、文化人の発言を観察していて、私は、この戦争に公然と反対している人びとのほうが、戦争の支持者よりも人数としては多いと見ています。

ビェリャシン: 戦争が始まってまもなく、ロシア人が街頭に出ていた頃、多くのポーランド人が、これではとるに足りない、ロシアの人口を考えると抗議の規模が小さ過ぎる、と言うのを耳にしました。抗議行動が減ってくると、まったく注目されなくなりました。

ユージン: ポーランド人なら、どうして1939年にドイツでポーランドへの侵攻に反対する大衆的な抗議行動がなかったのか、という問いは馬鹿げていることがわかると思います。ロシア人はどうして街頭に出て抗議しないのだ、という問いは、同じように馬鹿げているのです。そう、たしかにロシアと第三帝国は違います。でも、両者を結びつけているものがあります。いずれにおいてもファシスト的な制度が導入されているということです。今、ロシア人から期待しうることは、1939年にドイツ人から期待しえたこととまさしく同じ程度のものなのです。

ビェリャシン: 社会でどのような空気が支配しているのですか?

ユージン: 自分たちに何ができるんだと私に訊いてくる人がたくさんいます。公共の場で自殺したら、それどころか、赤の広場で焼身自殺したら、何か変わるのか、と質問するのです。やる価値があるか、それが助けになると期待できるか、と。あるいは、真実を語って戦争に反対して投獄されれば、プーチンを押しとどめるために少しでもチャンスになるのか、と。希望を失い、無力感にとらわれて、この人たちは何ができるかわからなくなっているのです。

抗議することにどういう意味があるのかという問いを、私はもう何年も前から受けています。大規模なデモが国内で起こるたびに、ふだんは政治に関心を持っていない人たちが私に質問するのです。抗議行動に参加して、何かを変えることができるということがありうるのか、と。そして、後になって、何ひとつ自分たちには変えられないのだと納得するのです。

ビェリャシン: 人びとがお互いに密告し始めたことを、どう説明しますか?

ユージン: これはたいへん危険な現象です。ロシアの体制は、厳しい権威主義からファシストの体制に変化したのです。現在では、この体制は、人びとから、従来とは異なるものを要求し、より多くのことを期待しています。このファシズムは恐怖に支えられています。

人びとはファシスト的な運動に参加し始めています。怖いからです。とりわけ以前は政治に関心のなかった人たちの場合がそうです。殴っている側にいま参加するか、さもなければ、殴られる側に身をおくか、そのどちらかしかないと彼らは信じているのです。

ロシアで最も重要な大学の1つで、2月に、治安機関の人間が指導的な立場に就きました。「ウクライナでの特別軍事作戦」をめぐる学生との集会で、彼は、もし教員が状況を政権と異なる仕方で評価した場合には、そのことを自分に告げてもらってかまわない、と言いました。女子学生の1人が立ち上がって、そういう教師がいます、誰がそうかをあきらかにすることもできます、と意思表示をしました。これにはさすがに治安機関から来たこの指導者もぞっとしたそうです。

ビェリャシン: なぜです?

ユージン: なぜならば、もしこの女子学生が教師の名前を挙げれば、自分が監督するべき場所でまずいことが起こっていることを全員が知ることになると彼は理解していたからです。結果的に全員が怖れ始めます。この大学では、一部の学生が教員を密告しています。さらに一部の学生は、密告が行なわれているので注意するように、とひそかに教員たちに知らせています。自分の仲間に密告者がいることを知っているからです。

人びとは恐怖心から密告を始めています。そうしないと誰かが自分たちを攻撃するのではないかと怖れているのです。こうして社会はファシズム化していきます。

ビェリャシン: 私はロシアの人たちと会話し、報告もたくさん読んできました。私が会話した人たちの多くは、ロシアのウクライナとの戦争は狂気の沙汰だ、こんなに近い民族なのに、と強調します。他方で、「あいつらは懲らしめてやるべきなんだ」と言う人たちもいます。一部のロシア人にみられるウクライナ人への侮蔑は、どこから来るのでしょう?

ユージン: それはデリケートな問題です。ロシアは崩壊しつつある帝国です。帝国の周辺に位置する他の諸民族や、かつては帝国の一部だった諸国民に対して、一部のロシア人は優越意識を持っているのです。ロシア・ウクライナ関係に植民地的な過去が影を落としていることは、あきらかです。しかし、私はこの現象を一般化するつもりはありません。独立したウクライナが存在する時代に育った若い世代は、総じてこうした帝国主義的な感覚はもっていませんから。

ビェリャシン: もちろんプーチンの考えは違いますね。

ユージン: プーチンはなにより、自分が致命的な危険のなかにいると考えています。彼がウクライナとの戦争を始めたのは、もしそうしなければ、自分を待ちうけているのは惨めな最期だと考えていたからです。ロシアの人びとの不満が高まっていって、ウクライナと西側に支援されれば、自分は没落すると考えているのです。

東ヨーロッパ全体が、彼にとっては危険地帯です。この地域に対して、彼は自分の権利を主張しています。彼が、ワルシャワ条約機構の時代の勢力圏の境界線まで押し返したがっていることがわかりますから。

ビェリャシン: ウクライナとの戦争を始める前に、プーチンは、ウクライナについて、いくつかの文章を書きました。そのなかで、彼は、ウクライナには国家を持つ資格はないと述べています。さらに、ポーランドについて述べた文章もあります。

ユージン: ロシアの政権の代表者たちがポーランドについて最近述べていることを、私はきわめて深刻に受けとめています。はじめてクレムリンからポーランドにとって重大な脅威となる見方が示されたと私が認識したのは、2020年のことでした。そのとき、プーチンは第二次世界大戦の勃発の原因についての分析を公表しました。この分析においては、ドイツについての記述はごく少なくて、その代わりに、ポーランドについてきわめて多くのことが書かれていたのです。プーチンは、文字どおり、ポーランドは悪であり、ポーランドが戦争の勃発に導いたのだと書いています。ウクライナについての文章でも、ポーランドについて脅威であると書いています。ウクライナへのプーチンの進軍がある程度成功すれば、次の目標はポーランドになることを私は疑いません。

ビェリャシン: 現在のようなかたちのロシアは、この戦争によって終わりを迎えるのでしょうか? 独立系の専門家の多くがそのような見方をしているのですが。

ユージン: この戦争が没落へと導くさらなるエピソードであることは疑いありません。ロシアの国境は最終的には変更され、おそらく国土が縮小するであろうことをすべてが示しています。

しかし、たいへん奇妙なことが起こっていることに注意する必要があります。ロシア軍は、ずいぶんいろいろな旗を掲げてウクライナに侵攻しています。ロシアの国旗だけでなく、ソ連の旗とか、それこそ鎌と槌のシンボルを掲げたりしています。しかし同時に、プーチンはレーニンを憎んでいて、脱共産主義化について語ったりしているのです。どういう国に私たちは暮らしているのか、答えるのがむずかしいほどです。

ヴァーツラフ・ハヴェルは、ロシアの最大の問題は、どこから始まってどこで終わるのかを知らないことだ、と言いました。まさに今、私たちはこの現象と向き合っているのです。
ロシア政府はある日、ハリコフ〔ハルキウ〕を占領した、この町は永遠にロシアのものだ、と言いました。次の日にはウクライナ軍がこの都市をとり戻しました。人びとはすでに途惑っています。ロシアはどこで終わるのか、そもそもこの国は何なのか、わからなくなっているのです。ウクライナ人が何のために戦っているかあきらかである分、ロシア人は何のために戦っているのかまったく理解できないのです。

ビェリャシン: ロシアは真の連邦になるでしょうか?

ユージン: そうなってほしいと本当に思います。それが最も適切な解決でしょう。ロシアで私たちは巨大な中央集権的な権力と向き合っています。それに加えて、モスクワのエリートに対する憎しみもあるのです。ここから抜け出すことはできるでしょうか? すべては社会にかかっています。社会が自らを育んで、政治的に行動する力を身につけ、プーチンは全能ではないと理解できるかどうかにかかっているのです。それができれば、ロシアは連邦的な共和国となり、あらゆる帝国主義的な衝動を忘れることができるでしょう。

ビェリャシン: ロシア人に求めうるのは、第三帝国のドイツ人に求めうるのと同じ程度のことだ、とあなたは言いましたね。でも、時代が違いますし、知ることはより容易になっています。

ユージン: ドイツでも人びとは知っていましたよ。そして、ロシアでも彼らは知っているのです。問題はもっぱら、どうやってそのことを自分自身に対して認めることができるのか、という点にあります。で、どうするんだ? この知識をもって何をするんだ? それを知ったうえでどうやって生きていくんだ? ということです。
最初のうち、戦争が始まってすぐの時期、ドイツ人たちは、そのような知識と向き合う準備ができていませんでした。今日のロシア人も同じです。何が起こっているかを意識したり、自分の無力さを感じたりして、かえって攻撃的になっています。人びとは知っているのです。

街頭でブチャやその他のウクライナの町の映像を見せられると、怒ったような反応をするのは、このためです。もし彼らが何も知らなければ、好奇心をかき立てられて、もっと知ろうとするでしょう。しかし、実際にはすべてがあきらかなので、彼らは攻撃的になるのです。なぜならば、そのような知識は彼らにとって耐えがたいものであり、壊れやすい彼らの内面の世界を傷つけるからです。自分自身と自分に近しい人たちのことを気づかうことこそ自分にできることのすべてだと信じて、こんなに長い時間をかけて作り上げて閉じこもってきた安全な繭を損なうものだからです。
人びとは、すべてができる限り早く終わることを望んでいます。そして、これは恐ろしい言い方に聞えるでしょうが、人びとはプーチンが勝利することを望んでいます。なぜならば、ロシア人は、この政権には負ける用意がないことを知っているからです。失敗すれば、全世界にとって――そのなかに彼らの世界も含まれています――劇的な結果となりうることを知っているからです。

「理不尽なプーチンの戦争に対して、ロシア国内にいるロシア人はなぜ反対の声をあげないのか」という日本でもしばしば聞かれる疑問に対して、「ロシア政府が思想統制と情報操作を強化しているために、ロシア国民の多くはウクライナで実際に何が起こっているかを知らないからだ」という説明がなされる。
しかし、このインタビューで語られるロシアの社会学者の分析を読むと、現実はより屈折したものであるのかもしれない。多くのロシア国民はウクライナ戦争の実態を知っているがゆえに、かえってその知識と向き合うことを拒否している、というのだ。

ロシアの世論調査の実態も、このインタビューから教えられることの1つである。ユージンによれば、「世論調査の回答率はたった15%ほどに過ぎない」。戦争に反対する人は、むしろ世論調査に答えないことを選択するのだとも言う。

ユージンは、ロシアの権威主義的体制は現状ではファシズム的体制に移行している、ととらえている。この場合に「ファシズム」という概念が適切かどうかは議論の余地があるかもしれないが、社会のすみずみまで監視と動員の力が働く体制が作られつつあることは間違いなさそうである。大学のトップに治安機関の人間が座り、政府の方針に従わない教員を密告するように学生に呼びかける――そしてたちまち学生がその呼びかけに答えて教員を密告する――という話は、読んでいて背筋が冷たくなる。
ロシア政府が国民を監視するシステムが「西側」の企業によって構築され、「西側」から流れ込んだ巨額の資金によって維持されてきたという指摘も、痛烈である。

たしかにこのインタビューはロシアの抱える問題について語っているのだが、読みながら、これは自分も身近に知っていることではないか、と感じて身につまされる箇所がある。政治的な問題について、声をあげても変わらない、という経験が積み重なっていった結果として「教え込まれた無力さ」が生まれる、というあたりなど。

【SatK】

プーチンとのロマンスを罰せられるシュレーダー

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「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年5月19日 執筆者:Bartosz T. Wieliński
https://wyborcza.pl/7,75399,28469119,pierwsza-kara-dla-schrodera-za-romans-z-putinem.html

ドイツ連邦議会の議員たちが、ゲルハルト・シュレーダーから、元首相として与えられている特権をはく脱しようとしている。ヨーロッパ議会の議員たちは、彼に制裁を科そうとしている。これは、シュレーダーが長年にわたってクレムリンを支えてきたことに対する罰である。

* * *

公金でまかなわれる事務局で秘書や局長が専任で雇用されている、そんな権利を、ゲルハルト・シュレーダーは今週中にも失おうとしている。ドイツ連邦議会の財務委員会に対して、緑の党、自由民主党、社会民主党からなる連立与党の議員たちが申し立てを提出した。このうち社会民主党は、シュレーダーが長年にわたって党首を務め、1997年に政権についた政党である。

連邦議会の決定は、公式には、シュレーダーの元首相としての活動とは何ら関係を持たない。議員たちは、彼に権利を与えられている6か所の事務局のスペースと7名の職員について、元首相がこの特権を総じて利用していないという理由で、彼から剥奪しようとしている。

「彼には、その地位から生じる恒常的な義務はまったくない。それゆえに、職員を雇用したり、事務所のスペースを使用したりするための理由もない」と申し立てには書かれている。

もちろんこれは口実に過ぎない。

ゲルハルト・シュレーダーはプーチンの帝国主義的な政策を擁護してきた

シュレーダーの事務所は現在は活動していない。ウクライナで戦争が勃発した2月24日以降、彼のために働いていた官僚たちは辞任した。アルプレヒト・フンクもその1人である。彼は長年にわたってシュレーダーの事務所の長を務め、シュレーダーのためにスピーチも執筆していた。

フンクが職を辞したのは、元首相がロシアのウクライナ侵攻を非難せず、ロシアのコンツェルンであるガスプロムとロスネフトのための仕事から手を引かないことへの抗議のためであった。それどころか、シュレーダーは、戦争勃発直前にもロシアを擁護し、キーウに対して、厚かましくも紛争を挑発していると非難していたのである。

1997年から2005年にかけてのシュレーダー政権の時代に、ロシアとドイツは経済的・政治的に密接な関係を築くにいたった。ドイツとロシアを結ぶガスパイプライン「ノルトストリーム」の建設が決まったのは、この間のことである。このパイプラインは、ウクライナとポーランドを避けてバルト海の海底に敷設され、両国を結んでいる。

2005年秋に政界から引退してまもなく、シュレーダーはガスパイプラインを建設する企業の筆頭取締役となった。その後、彼は、ジョージアへの侵攻、2014年のクリミア併合とドンバスでの戦争など、プーチンの帝国主義的な政策を公的に擁護してきた。

ウクライナで戦争が勃発したのち、シュレーダーはモスクワに赴いてプーチンと直接会談し、平和を回復するように求めた。しかし、なんの効果もなかった。シュレーダーもその親ロシア的な姿勢を変えることはなかった。

ロシア企業とクレムリンのためのロビー活動の報いを受けるシュレーダー

今後も引き続き、シュレーダーは、元首相としての警護を受け、年金を受給することになる。外遊したり公的な場に出席したりするための経費は、これからも国庫から支出されるであろう。緑の党と自由民主党は、しかしながら、国庫からの経費支出については規程を見直すと予告している。外遊や公的行事にかかわる支出にかんする規程そのものがなくなる可能性もある。

木曜日(5月19日)、ヨーロッパ議会は、政治家に制裁を科すことを求める決議案を採決することになっている。そこには、シュレーダーがやめようとしないロシアの企業とクレムリンのためのロビー活動に対する処罰が盛り込まれることになっている。

制裁は、オーストリアの元外相カリン・クナイスルにも及ぶ可能性がある。彼女の結婚式には、ウラジーミル・プーチンが招かれている。現在、クナイスルはロスネフトの取締役会のメンバーである。彼女もこの職を辞任しようとはしていない。

ヨーロッパ議会の決議案は、EUの外務・安全保障政策上級代表〔外相に相当〕ジョセップ・ボレルに提出されることになっている。提出されれば、ボレルはこの問題を検討に付さなければならない。制裁にかかわる決議には、EUに加盟する諸政府のトップによる全会一致の承認が必要である。現実にそのような決定が下されることは想定しにくい。ヨーロッパ議会の決議案の意義は、したがって、象徴的な次元のものとなるであろう。

日本にも、プーチンと27回も会談して「同じ未来を見て」いた元首相がいる。
「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。」
(2019年9月5日 ウラジオストクで開催された東方経済フォーラムでの安倍首相のスピーチ https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0905eef.html )
当時もニュースで聴いていて「歯が浮くようだ」と感じたが、今読み返しても、肌に粟が立つほど恥ずかしい科白である。

その後の経緯と現在起きていることをみれば、安倍元首相による対ロシア外交が完全に失敗に終わったことは誰の目にもあきらかであろう。日本の外交は、この失敗を率直に認め、何が間違っていたのかを正しく分析し、深く自省するところから再出発するべきなのである。

しかるに、この元首相は、自らの失敗を反省するどころか、ウクライナでの戦争が始まった3日後にTV番組に出演し、ロシアの引き起こした戦争に便乗するかのように「日本も核シェアリングの議論をするべき」と述べたのだ。同じ番組に出演していた日本維新の会の松井一郎代表は「非核三原則は昭和の価値観」と発言した。

ドイツやEUの動向に照らしてみれば、日本の元首相についても、少なくとも「象徴的な次元で」何らかのペナルティを科されてもおかしくないであろう。

【SatK】

マクドナルドがロシアから撤退へ――1つの時代の終わり

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「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年5月16日 執筆者:Dariusz Brzostek
https://wyborcza.biz/biznes/7,177151,28458266,mcdonald-s-wychodzi-z-rosji.html

30年以上のあいだ、それはロシアにおける西側の代理店だった。ウクライナへの軍事侵略がすべてを変えた。現在、マクドナルドはこの国でのビジネスを売却しようとしている。

* * *

ロシアでは、とりわけ若い人たちのあいだで、衝撃と疑念が広がっている。この国でアメリカ的生活様式と資本主義のアイコンだったマクドナルドは、32年を経て、ロシアでのビジネスを売却して、ヴォルガ河畔での事業から全面的に撤退しようとしている。

「これは複雑な問題です。前例はなく、深い影響が及びます」――マクドナルドのCEOクリス・ケンピンスキーは、フランチャイズ加盟者、従業員、納入業者に宛てたメッセージでこのように記した。アメリカのメディアがこれを入手した。

1つの時代が終わり、西側の代理店がなくなる

「ニューヨーク・タイムズ」紙が伝えるように、この動きは、企業にとって大きな意味をもっている。マクドナルドの展開は、世界中でグローバリズムのシンボルとなり、平和の理論の基盤でさえあったからだ。グローバリズムの支持者が目指していたものは、近年、コロナウィルスによるパンデミックと地政学的な緊張によって行き詰まっていた。ウクライナにロシアが侵攻したことで、通常の営業を続けようとしていた多くの企業が同様の決断をすることを余儀なくされたのである。

マクドナルドは地元の企業への事業の売却を計画している。しかしすでに以前から、店舗の脱ブランド化を進めようとしていた。これは、マクドナルドの名前やロゴを使わせず、世界中で知られているブランドも使用させないという意味である。

マクドナルドは次のように声明した。「優先されるのは、取引が終結するまで、ロシア国内の店舗の従業員に対する給与の支給を保障することであり、将来的に事業を買い取る事業者のもとで従業員が雇用されることである。」他方で、マクドナルドはロシアでの商標は維持することになっている。

ロシア市場からの撤退は、相応の経済的損失をともなうことになるであろう。マクドナルドは12~14億ドルの評価切り下げとなるとし、さらに「為替差損」を見込んでいると声明で発表した。

30数年前、多くの写真や映像が世界中に流れた。1990年1月にモスクワで最初のマクドナルドが開店したときのことだ。

「それは、マクドナルドの歴史のなかで、私たちが最も誇りとし、最も興奮した里程標の1つでした」とクリス・ケンピンスキーは強調する。

そして、こう付け加えた。「半世紀以上に及ぶ冷戦期の敵対関係のあとで、プーシキン広場の上に輝く金色のアーチ〔Golden Archesとも呼ばれるマクドナルドのロゴを指す〕のイメージは、多くの人にとって、鉄のカーテンの両側で新しい時代が始まろうとしている予兆でした。」

鉄のカーテンの向こう側にできたアメリカン・レストラン

その当時、ロシアの人びとは、氷点下の寒さをものともせずに、はじめてのハンバーガーを手に入れるために、とてつもなく長い行列に並んだ。その後数年でレストランのネットワークは急速にロシア市場に広がった。マクドナルドは材料調達の経路の確保とロシアの他の都市への店舗の展開に数十億ドルを投資した。

2月24日のロシアのウクライナ侵略後、すべては変化した。従業員と消費者の高まる圧力のもとで、多くの企業やチェーン方式の飲食店が部分的に、あるいは全面的に、ロシアでの活動を停止した。

3月初め、マクドナルドも同様の決定をし、店舗を閉鎖した。営業の最終日、フライドポテトとドリンク付きのセットを求めて、店の前には再び長い行列ができた。ネット上には数多くの「売ります」が登場した。ハンバーガーやドリンクだけでなく、ソースを出品する人さえ現れた。

ロシアから金色のアーチが消える

マクドナルドCEOのクリス・ケンピンスキーは、ロシア市場からの撤退の決定について、次のような見方を示した。
「食品の提供を保障し、数万人の一般の市民をこれからも雇用し続けることこそが正しい選択ではないかと考える人もいるでしょう。しかし、ウクライナで戦争によって引き起こされた人道的危機を無視することはできません。」

そして、こう付け加えた。「黄金のアーチが、32年前にロシア市場へと私たちを導いたときと同じ希望と約束をあらわしているとイメージすることはできないのです。」

体制転換後のポーランドでも、マクドナルドは自由主義経済の象徴だった。1992年、ワルシャワに、ポーランドで最初のマクドナルドの店舗がオープンした。1993年から94年にかけてワルシャワ大学の日本学科で教えていた訳者は、ときどきこの店を利用した(マックバーガーのファンではないのだが、時間がないときにはやはり便利なのだ)。先生に引率されて見学にきた子どもたちが、目を輝かせて従業員の説明を聞いていた光景を覚えている。その後、グローバルに展開するハンバーガーやピザのチェーン店が急速に増えていき、ポーランド風のメニューをリーズナブルな価格で提供していた食堂はワルシャワの街から姿を消していった。

【SatK】

バビ・ヤールで誰がユダヤ人を虐殺したのか

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パヴェウ・スモレンスキ
「イタリア『ラ・レプブリカ』紙、ポーランドのウィキペディア、ロシアのトロールが同じ声で語っている」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年5月11日

https://wyborcza.pl/alehistoria/7,162654,28434997,wloska-la-repubblica-polska-wikipedia-i-rosyjskie-trolle.html

「ガゼタ・ヴィボルチャ」の読者コメント欄では、モスクワによる侵略に批判的な記事が掲載されるたびに、反ウクライナ論者とロシアのトロール(ネット上の荒らし)が飛びかかってくる。「バビ・ヤール渓谷にユダヤ人たちを追いやったウクライナの警察と志願兵の部隊については、いつ記事にするんだ?」

* * *

私はすでにインクの大瓶を使い果たしたが、無駄な骨折りだった。ソ連とプーチンの支持者、物知りの自信家たちのプロパガンダが世界中から押し寄せてくる。この状況で、哀れなコオロギのような私に何ができようか。ウラジオストク、モスクワからミラノ、パリを経てニューヨークまで、偽りの語りが熱心に繰り返されているのだから。キーウ郊外のバビ・ヤールで、ドイツ人だけでなく、ウクライナ民族主義者がユダヤ人を殺したのだ、と。ワルシャワでも、こうした言い方が鐘のように鳴り響いている。打ち鳴らされる鐘の響きに対しては、コオロギの鳴き声は何の意味も持たない。それでもあきらめずに努力しなければならない。

バビ・ヤールの虐殺

1941年9月、ドイツ軍のキーウ侵攻後の数日間、大規模な爆発が町を揺るがし、ドイツ国防軍の数百人の兵士と将校が死亡した。攪乱活動の疑いをかけられたのがユダヤ人だった。

爆発の数日後、ユダヤ教のヨム・キプルの祭日に、ドイツ軍は、ユダヤ人に対して、お金と貴金属、暖かい衣服、毛皮をもって所定の場所に集まるよう命じた。この命令は強制移送を示唆するものだったが、どちらかといえば恐怖感なしに受けとめられた。ユダヤ人を含めてキーウの住民の多くは、ドイツ軍はスターリンのテロルからの解放者であると思い違いをしていたのである。ところが、彼らは百人ずつのグループに分けられて、バビ・ヤールに追いやられた。数日のあいだに、ナチスは、彼ら自身の計算によれば、34,000人のユダヤ人を銃殺した。

殺害は1943年まで続いた。バビ・ヤールは、何万もの人びとの屠殺場となった。ナチスが殺したのはとりわけユダヤ人だったが、ロマ、シンティ、ウクライナ人、共産主義者、捕虜となっていたソ連軍兵士、反ドイツ抵抗運動の参加者たち、ウクライナの地下民族運動の活動家たちも殺された(少なくともウクライナ蜂起軍(UPA)の1つの部隊が、ドンバスに至る地域で、ドイツ軍ならびにソ連側パルチザンと戦っている)。そこには、規模は小さいが強制収容所も存在し機能していた。

ソ連時代の反体制派でウクライナのユダヤ人社会のリーダーでもあるヨシフ・ジセルスは、私にこう語った。「ユダヤ人の持っていたお金や貴重品を数え上げた者のなかには、ウクライナ人がいたに違いない。しかし、ナチスの人殺しのなかにウクライナ人の部隊は1つも含まれていなかったのだ。」

バビ・ヤールにウクライナ人はいたのか?

ドイツ側に協力したウクライナ人部隊は、1941年秋のバビ・ヤールの虐殺に参加することはできなかった。なぜならば、そのような部隊はその当時はまだ存在しなかったか、あるいは、すでに存在していなかったからである。ヒトラーとスターリンが手を結んでいた戦争の初期の段階では、ドイツ国防軍にウクライナ人の2つの大隊、「サヨナキドリ」(Nachtigall)と「ローラント」(Roland)が参加していた。これら2大隊には、キーウまで到達するチャンスがなかった。1941年6月30日にリヴィウの広場でウクライナの独立宣言を行なった結果、ヤロスラウ・ステツコとステパン・バンデラの政府はゲシュタポによって逮捕され、ウクライナ民族主義者組織(OUN)の活動家数百名が弾圧された。このとき、ウクライナ人の2大隊はフランクフルト・アン・デア・オーデルに移動させられ、そこで編成替えが行なわれた。ウクライナ人兵士が第三帝国に叛旗をひるがえすのではないかとドイツ側は怖れたのである。

ドイツ側は、ベラルーシ人やロシア人の警察部隊と同じようなウクライナ人の警察大隊を組織したが、その編成に着手したのはようやく1942年2月であり、これはバビ・ヤールの虐殺のほぼ半年後である。ウクライナ蜂起軍も、第14SS武装擲弾兵師団『ガリーツィエン』(SS Galizien)も、バビ・ヤールの虐殺の現場にはいなかった。前者は1942年の秋から冬にかけて成立したのであり、ウクライナ人の武装親衛隊員からなる後者が組織されたのは1943年春だったからである。

健全な感覚の持ち主であれば、一部のウクライナ人がホロコーストでどのような役割を演じたかを隠ぺいする者はいない。この問題について、たとえばリヴィウの歴史学者ヤロスラウ・フリツァク教授は、次のように書いている。「ドイツ人は、ユダヤ人の処刑を組織し実行するにあたって、ウクライナ人のいわゆる補助警察を利用した。ウクライナ人補助警察は、ウクライナの諸地域だけでなく、ポーランド、ベラルーシ、リトアニアのゲットーでも職務を遂行した。ウクライナ人警察官は強制収容所で看守となった。」しかし、彼は次のようにつけ加えている。ヤド・ヴァシェム〔ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)の犠牲者達を追悼するためのイスラエルの国立記念館〕に集められた記録によれば、ウクライナ人のあいだに、オーストリア人は言うまでもなく、ポーランド人、リトアニア人、ラトヴィア人と比べても、より多くの反ユダヤ主義者がいたわけではない、と。

ルースキー・ミール(ロシアの世界/ロシアの平和)

ソ連では、バビ・ヤールの犯罪は沈黙によって隠された。このことは、国際社会主義がいかに巧みに反ユダヤ主義をとり込んだかを示している。しかし、ソ連ではキーウのユダヤ人の受難について語られなかったにもかかわらず、公的に黙殺されたこの殺害の監督をしたのはウクライナ人だったと強調されてきたのである。

プーチンはしたがって、何か新しいことを考え出したわけではない。このソ連治安機関の元中級役人は、スターリンとブレジネフの飲みこみの早い教え子なのだ。
「バビ・ヤールは、クレムリン的な「ルースキー・ミール」のとらえ方では、『我が闘争』や、第三帝国官房や、ヴァンゼー会議〔1942年1月20日、ヒトラー政権の高官がヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害について討議した会議〕よりも重要なのです」と、戦争が始まる何か月も前に、ヨシフ・ジセルスは私に説明した。「プーチンは次のような連想のつらなりを作りたがっている――ウクライナはつねに悪そのものであったし、今でもそうだ。だから、ホロコーストもそれ以外の場所で始まったはずがない、と。彼は、ロシアではナチスの恐怖をかき立てることで国民の統一が打ち建てられると知っているのです。加えて彼は、ウクライナから西側の共感を奪い去りたかったのです。」

1つ目のアイディアは見事にきまった。2つ目のアイディアのほうは――プーチン・インターナショナルとそのポーランド支部、オルバン、ルペンの骨折りにもかかわらず、あまり成功していない。

イタリアの日刊紙からロシアのトロールまで

戦争は戦争である。しかし、バビ・ヤールについては、私たちはプーチンの言うとおりに相変わらず繰り返している。ウィキペディアは、バビ・ヤールの犯罪にウクライナ人ファシストの部隊が参加したと告発している。イタリアの日刊紙『ラ・レプブリカ』は、マウリツィオ・モリナーリ執筆の記事で、こう述べている。「1941年9月、ナチスとウクライナ人民族主義者によって、おぞましいユダヤ人の虐殺(バビ・ヤール)が起こった。48時間のあいだに34,000人ものユダヤ人が殺害され集団的に墓穴に投げ込まれた。」反ウクライナ論者とロシアのトロールについては、言うまでもない。彼らは「ガゼタ・ヴィボルチャ」にモスクワによる侵略に批判的な記事が掲載されるたびに、読者コメント欄で、クレムリンが命じるとおりに飛びかかってくる。「ヒトラーの強制収容所や絶滅収容所で看守として働いたウクライナ人部隊については、いつ記事にするんだ? それと、バビ・ヤール渓谷にユダヤ人たちを追いやったウクライナの警察と志願兵の部隊については?」

このように無知とプーチン的トロールの破廉恥が混ざり合うのである。かくして、嘘も3回繰り返されれば真実になる、というゲッベルスの格言が証明される日も近いであろう。

*パヴェウ・スモレンスキ(Paweł Smoleński)は作家、評論家、「ガゼタ・ヴィボルチャ」レポーター

バビ・ヤールは、キーウ市内に位置する渓谷である。ドイツ軍占領下の1941年9月、3万3千人を超えるユダヤ系市民がこの渓谷に連行され、殺害された。その後もこの地で殺害が続き、ユダヤ人以外に、ロマ、ウクライナ民族主義者組織のメンバー、共産主義者、捕虜となったソ連軍兵士、精神障碍者らが犠牲となった。

ソ連はユダヤ人虐殺の記憶を保存することを望まず、キーウの都市開発の一環として渓谷を埋め立てて公園や集合住宅を建てた。1961年、詩人エフゲニー・エフトゥシェンコは、詩「バビ・ヤール」を書き、ユダヤ人迫害に対するソ連の無関心を告発した。作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチはエフトゥシェンコの詩に感銘を受け、翌62年に交響曲第13番を作曲した。この作品は1962年12月18日、キリル・コンドラシン指揮で初演されたが、事前に当局のいやがらせが続き、バス独唱者が次々と交代し、指揮者のコンドラシンにも初演当日まで出演を辞退するように圧力が加えられた。

この記事で執筆者のスモレンスキが指摘しているのは、ウクライナ民族主義者組織(OUN)やウクライナ蜂起軍(UPA)の武装部隊や、ナチス親衛隊に組み込まれたウクライナ人師団(SS Galizien)は、1941年9月のバビ・ヤールにおけるユダヤ人虐殺に関与していない、ということである。ウクライナ人がドイツ側の補助警察の警察官としてユダヤ人の迫害に関与した点については、否定していないことに注意する必要がある。

日本語版ウィキペディアの項目「バビ・ヤール」では、虐殺へのウクライナ人の関与については、次のように書かれている。
「1941年9月29日から30日にかけて、ナチス・ドイツ親衛隊の特別部隊およびドイツからの部隊、地元の協力者、ウクライナ警察により、3万3771人のユダヤ人市民がこの谷に連行され、殺害された。」
「バビ・ヤール大虐殺の実行は、フリードリヒ・イェケルン総指揮の下、ブローベル率いるゾンダーコマンド4aがあたった。この部隊はSD(警護部隊)および治安警察(Sipo)、武装親衛隊の特別任務大隊第3中隊、そして警察第9大隊からの小隊から構成されていた。また警察第45大隊、第305大隊およびウクライナ警察の支援も受けていた。ベッサー少佐率いる警察第45大隊は、親衛隊の支援のもとユダヤ人の殺害にあたり、ウクライナ警察はユダヤ人をかき集め、峡谷へ向かわせる任にあたった。」
「目撃者の証言によれば、ユダヤ人たちは服を脱ぐように指示され、ウクライナ警察の誘導に従って、順番に手荷物、貴重品、コート、靴、上着、下着などをそれぞれ指定の場所に置かされた。抵抗すれば殴られ、最終的に10人ずつの集団でバビ・ヤール峡谷のへりに立たされ、銃殺された。」

【SatK】

ロシア国営メディア「ウクライナ軍の司令部で黒魔術のしるしが見つかった」

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ロシア「真理省」の知的劣化はいまやまったく新たな次元に

tweet の書き手はウクライナのジャーナリストである。「真理省」はもちろん実在しない。オーウェル『1984年』を参照。
こちら ↓ が、RIAノーボスチ通信社の元のニュース。
https://ria.ru/20220504/magiya-1786707582.html

「黒魔術」がキーワードのこのニュースとそれを諷刺するtweet、ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』の読者であれば、複雑な感慨があるのではないだろうか。ちなみにミハイル・ブルガーコフ(1891~1940)は、帝政ロシア時代のキエフ(キーウ)に生まれ、キエフ大学で医学を学んでいる。

【SatK】