ゲッベルスのようなプーチン

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バルトシュ・T・ヴィェリンスキ
「ゲッベルスのようなプーチン――ルジニキでの彼の集会は1943年のベルリンの集会を想起させる」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年3月18日付

諸君は総力戦を欲するか?――1943年にナチスの宣伝全国指導者ヨゼフ・ゲッベルスは群衆にこう問いかけた。今日、ウラジーミル・プーチンはロシア人に同様の問いを投げかけた。

1943年2月8日、念入りに選ばれた聴衆がベルリンのスポーツ宮殿の観客席を埋め尽くした。2時間近くにわたって演説したヨゼフ・ゲッベルスは、何度も拍手喝采を浴びた。宣伝・公教育相であり、アドルフ・ヒトラーに最も近い協力者の1人である彼は、ドイツ人たちに、戦争は新たな局面に入ったと告げた。その2週間前、ドイツ軍はスターリングラードで壊滅的な敗北を喫していた。アフリカ軍団も敗北し、太平洋では日本軍が敗北していた。ヒトラーに対抗する連合国側は第三帝国の無条件降伏を望んでいた。ヒトラー政権の指導者たちにとって、生きるか死ぬかの戦いが始まっていた。ドイツ人たちの士気を保つために、ゲッベルスは総力戦という標語を用いた。ひとりひとりのドイツ人がこの戦いに参加するのだ。「諸君は総力戦を欲するか?」と彼は演説の最後に問いかけた。会場は熱狂して叫んだ、「もちろん!(Ja !)」

ロシアは電撃戦に失敗した

モスクワのルジニキ・スタジアムでの今日のプロパガンダ集会を見ながら、私は79年前の出来事のことを考えていた。無数の旗が翻っていた。そして、ウクライナに侵略したロシア軍が用いているZのしるし。ロシアのプロパガンダにとってこのシンボルは国家を支持する記号となったが、ロシア軍の兵士たちが犯した犯罪のために、世界にとってZは新たな鉤十字となった。ルジニキの集会の目的はスポーツ宮殿での集会と同じである。つまり、勝つことができないと思われる戦争を支持するように国民を動員することだ。

ロシアは、第三帝国と同様に、ウクライナで電撃戦を行なおうとした。ウクライナ人の抵抗、ウクライナ軍の見事な編成と指揮、社会をあげての果敢な姿勢、国の指導者たちの高い識見と能力によって、ロシアの計画は葬り去られた。ロシアはそれゆえに総力戦を行なうのだ。犯罪的なやり方で――砲撃と爆撃で――ウクライナの都市を破壊する。攻囲されたマリウポリで、ロシア軍は建造物の80%を破壊した。これは、ワルシャワ蜂起後にヒトラーがこの都市を地上から消し去れと命じたときに行われた破壊に匹敵する。ロシア軍はウクライナの工場を破壊し、森の木を切り倒し、農業に必要な設備や機器を破壊している。このような戦争は、1943年にまさしくゲッベルスが予告したものだ。2年と3か月足らず後、ソ連兵の手におちないように、まず自分の6人の子どもたちを殺したうえで、ゲッベルスは妻と自殺した。

あの群衆はロシアの空気について多くを語ってはいない

ドイツ首相オーラフ・ショルツは、ドイツ市民に対してロシアが仕掛ける攻撃を断固として非難した。彼はツイッターに、ウクライナでの戦争は、ロシアの戦争ではなく、プーチンの戦争に過ぎない、と書いた。この引用を文脈から抜き出してルジニキでの集会の熱狂的な雰囲気と並べてみると、控えめに言っても、あまり正しくはないように見える。しかし、覚えておかなければならないのは、1943年のスポーツ宮殿には念入りに選ばれた人たちの集団しか入れなかったということであり(ゲッベルスはのちに、すばらしく訓練された聴衆を前に演説したと語っている)、同様にルジニキでも、学生や、国家の官庁や諸機関の職員が、強制されて集められていたということだ。彼らの熱狂は、たとえ心からのものであったとしても、ロシアの空気について多くを語るものではない。

第三帝国では、今日のロシアと同様に、人びとは全面的なプロパガンダの影響のもとにおかれていた。ドイツ人たちは国外の情報から完全に切り離されていた(外国のラジオ放送を聴くことは刑罰の対象であった)。ロシア人たちは、西側のポータルサイトをブロックされ、世界のインターネットから切り離されれば、同じ運命をたどることになる。1940年代のドイツ人は、自分たちの総統のもとに最後までとどまる以外に選択肢をもたなかった。総統から権力を奪うことができるようないかなる力もなく、国家はテロルを用いる治安機関のコントロールのもとにおかれ、治安機関は敗北主義のあらゆる徴候を見逃さなかった。連合国側の想定に反して、戦争による損失や都市の爆撃によってドイツ人が反乱へと促されることはなく、防空壕に隠れたドイツ社会はますます無気力な大衆となっていった… 同じような運命をロシアはたどるのか?

https://wyborcza.pl/7,75399,28238566,putin-jak-goebbels-jego-wiec-na-luznikach-przypomina-ten-z.html#S.DT-K.C-B.3-L.2.maly

1943年のベルリンの集会と2022年3月18日のモスクワの集会には、たしかに共通する点がある。軍事的な不成功によって戦争全体の成り行きと体制の将来に指導者自身が不安を覚え、国民の士気を高め、国民全体を動員するためにプロパガンダ集会を開催したこと。

しかし、相違する点もある。2022年、ルジニキ・スタジアムに集まった群衆は、1943年のスポーツ宮殿の聴衆のような「念入りに選ばれた人たち」ではなかった。「選ばれた」国家機関・組織の構成員に入場券が配られたのだろうが、彼ら全員が「すばらしく訓練された聴衆」であったわけではなさそうだ。会場に最後まで残った人たちはプーチンの演説に熱狂的に拍手喝采したが、最初のほうだけ参加して会場から立ち去った人たちもいた。


後者の人たちは、プーチンが支配する現体制内で学んだり働いたりしている人びとである。上から指示されればそのとおりに従うが、おそらくはウクライナでの戦争を熱狂的に支持しているわけではない。動員されれば会場まで足を運ぶが、プロパガンダに全面的に身を委ねることはせず、家に帰る。この振る舞いは体制への従順の表現なのか、無関心のあらわれなのか、それとも密かな不服従・抵抗の兆しなのか――よくわからない。

プーチンは完全な意味でのゲッベルスではない。プロパガンダの専門家ではなく、諜報の専門家である。閉じた空間で、あらかじめウラもオモテも調べあげて弱みを握った特定の相手を威圧しながら取り引きを有利に進める能力には長けているかもしれないが、レトリックと身振りを駆使して2時間も聴衆を熱狂させる演説をぶつことは、プーチンにはできない。

ルジニキ・スタジアムでの集会を中継した国営放送は、プーチンの演説の途中で画面を切り替えるという「ミス」をおかした。ロシア当局は「技術的な理由によるもの」と事後に発表した。国営放送のスタッフによる抵抗の表現である可能性もゼロではないように感じるが、真相はわからない。

ロシアの言論弾圧と思想統制の現状は憂慮すべきものだが、ロシアの治安機関はゲシュタポではない。反戦を訴える市民は拘束されているが、社会全体が密告・拷問・処刑の恐怖に覆い尽くされているわけではなさそうだ(1943年のスポーツ宮殿の集会で途中で席をたって家に帰ったら、ただではすまなかったであろう)。

現時点で体制内にいて動員がかかれば従うが、熱狂的に戦争を支持しているわけではない人たちの今後の動向が、鍵を握っているような気がする。彼らは、「無気力な大衆」として、ヒトラーやゲッベルスに抵抗する反乱を起こさずに敗戦を迎えたドイツ国民と同じ運命をたどるのだろうか。それとも…?

【SatK】