いただいたメッセージ

先日公表しました大学執行部による学生呼び出しをめぐる見解にお寄せいただいたメッセージをご紹介します。

賛同者:2021年7月27日現在40名

処分攻撃に断固抗議するための、より大きな枠組みを、この声明から作っていきたいです。

村中理事のこれまでの各事項に関する行動・やり方を考慮すると、今回の件に関しては、弁護士同伴に賛同です。

何事につけても弁護士同伴ということには賛同できませんが、村中理事をはじめ、現執行部、前執行部のこれまでの対応を勘案するならば、弁護士同伴は致し方ないことと思い、賛同します。
なお、教職員のサイドから見ても現執行部の大学運営には、以下のようなことも起こっておりますので、この場を借りて意見を言わせて頂きます。現在、現執行部は、村中理事を中心に大学院教育の支援を目的とした新組織を立ち上げようとしていますが、この組織の運営に当たっては、国際高等教育院が担当する計画になっているようです。一方、大学院教育の支援に関しては、現在、教育推進学生支援部の教務企画課が多くを担っています。教務企画課は、現在もダブルディグリープログラム、ジョイントディグリープログラム、卓越大学院やフェローシップ事業等を担当するなど、大学院教育の支援の中心的組織です。大学が大学院学生を支援するように取り組むことは何も悪いことではありませんが、なぜ、執行部は既存の組織を利用して業務を遂行しようとしないのでしょうか?また、新しい組織を立ち上げるにしても、現組織で中心的な役割を果たしている教務企画課をなぜ中心にしないのでしょうか。現在の中心組織である教務企画課から国際高等教育院に業務を移管することにより、学内全体の業務量が増加することは容易に予想できますし、現在、一部局である国際高等教育院にこのような役割を担わせることが将来、組織の運営に支障をきたすことは目に見えております。なぜ、執行部が、このような新組織を立ち上げるのか疑問が止みません。
大学院教育支援の担当を国際高等教育院に担わさなければならない理由でもあるのでしょうか。国際高等教育院を全学を取りまとめる組織にしたいのでしょうか?それならばそうとはっきりと説明をすれば良いと思うのですが、取りまとめるのは新しく立ち上げる予定の組織となっており、それもありません。また、以前、村中理事は国際高等教育院長の職に就いておられましたが、その時の事務の方が現在、国際高等教育院におられます。これが何か関係しているのでしょうか。全くよくわかりません。
京都大学の構成員の一人として、大学院教育の支援を推し進めるのならば、無闇に新しい組織を乱立させるのではなく、既存の組織を生かした支援体制を築かれることを強く望みます。

基本的人権の侵害です。「教育的観点」ってなんですか? 見せしめですか?

「呼び出された者が学生である以前に基本的人権を保障されるべき市民である以上、「教育的」という言葉で弁護士、教員等の同伴を否定するのは権力の濫用であり、個人の「自由」の侵害です」という点に、全面的に賛同いたします。

一市民です。「大学執行部による学生呼び出しをめぐる見解」に強く賛同します。対話を求めます。

学生時代から党派との関係、党派に所属する学生との関係では正直、苦しい思いをしてきました。しかし、特定党派との関係で学生が理不尽に弾圧されるのを見過ごすのは、治安維持法の時代の愚かさを反復することに思えて仕方ありません。

思いをはせる、寄り添うといった余地がない社会、会社、組織には未来がないとおもっています。

最近の京都大学は、あたかも管理国家のまねごとをしているかのように見えます。大学は管理国家のミニ版ではないし、今のようなやり方は問題の解決にはつながらないでしょう。むしろ、余計に事態を泥沼化させているように思えてなりません。本気で問題を解決する気があるなら、大学当局は方針を転換するしかないと思います。特に、学生と職員の対立をあおるような施策は恥ずべきことであり、即刻やめるべきです。

弁護士の同伴が許されないのは本当に今回ので一番意味がわからないところ。

元吉田寮生です。私が京都大学にいた間は、権力が拡大し、キャンパスから自由がどんどんなくなっていった時代でした。拡大する権力と同じくらい、狭まる自由を肯定し、抗議する声を嘲笑する向きが大学内でも強まっていったことを強く憂います。吉田寮に対する訴訟の時も、SNS上で寮生を誹謗中傷する声が後を絶ちませんでした。今も、こうした動きに対してシニカルに権力を肯定し、抗議する声を批判する向きが強いと感じています。権力に抗議すること、異議申し立てをすることがもはや憎悪の対象となっている社会に対して強い危機感をおぼえています。

有志の会の見解によくまとめられていますが,一連の大学執行部による学生処分は恣意的で非常に問題があります.これらの動きは,学生にだけではなく,教職員にもおなじような弾圧的な処分が降りかかる可能性も感じさせられます.その意味でも,京都大学の構成員として,執行部の弾圧的で強硬な態度には強く抗議しなければなりません.

今後の処分もですが,これまでの処分についての撤回すること,執行部が対話の席に着くことを求めたいと思います.

卒業生として、非常に遺憾かつ恥ずかしく思う。
最低限の人権意識も欠如した現在の大学当局に対し、今後建設的な対話が望めないのであれば、民事提訴や刑事事件として被害届の提出も必要ではないのか。

大学における教育は「教師→生徒」というような片方向的なものではなく、両者が完全対等ではないとしても被教授者である学生の理解や問題定義によって常に修正や否定がなされる、相互作用的な創造行為である。科学や歴史は必ずしも絶対的・確定的ではないので、それに携わる者は常に次世代や未来に対して謙虚でなくてはならない。

そこに「教育的」「指導」といった「上から目線」や官僚的世界観で一方的に権力行使し、根拠も明確ではない状況の元で出頭させ詰問するような卑劣は、明らかに大学の学内行政とは言えない。

たとえ学生らの行為が学内活動として逸脱の度合いが大きいものに見えるとしても、過剰な権力の元での恫喝(おそらく「複数の教授や理事 vs. 一人の学生」という非公開の尋問形式になるであろう)は「教育」や「指導」の確信犯的曲解である。

最低限、当事者の弁明の記録と公開、弁護士の同席を求めます。

大学執行部には、もう少し正々堂々とフェアな姿勢で学生に対応していただきたいです。

当局が学生に対する態度を硬化させることにより、学生が学外組織との連帯にしか活路を見いだせなくなっている点、非常に憂慮しています。自由の学風を標榜する京大に、相互理解の根幹たる対話が復活することを望んでいます。

学生の処分に関わることは大学の内部のことなので弁護士など外部の人間が介入するのは望ましくない、というのは一時代前には常識として受け入れられていたかもしれません。しかし、大学という場もまたさまざまなハラスメントをはじめ、人権に関わる問題の温床であることが共通認識となってきた現在、そうした常識も見直しを迫られています。京大の執行部がそうした時代の流れを正しく受け止めてくれることを願います。

元職員です。立て看板のことで何と不自由な大学になりつつあるのかと憤慨していましたが、さらにこんな事態に立ち至っているとは知りませんでした。広く知らせていきたいです。

勇気ある活動に敬意を表します。