「自由と平和のための京大有志の会」メンバーがおこなったスピーチ原稿を掲載しています。
※スピーチのためのメモに基づいた内容ですので、実際のスピーチとは異なるところもあります。
☝2020.9.19 街宣メッセージ(駒込武)
自由と平和のための京大有志の会の呼びかけ人の駒込といいます。
こうした場で話すことに馴れてはいないのですが、日本学術会議の問題について、いてもたってもいられない思いに駆られて、ひとこと発言させてもらいます。
三つのことを指摘させててください。一つ目は、学術会議問題の本質は権力の濫用であり、法秩序の破壊だということです。
日本学術会議法という法律は「優れた研究又は業績」のあること、ただそれだけを会員の条件と定めています。ですから、政府が任命を拒否するとしたら、この条件に鑑みて不適格だと説明する義務が最低限あります。
たとえば、京都大学の芦名定道先生も任命拒否をされた内のおひとりです。芦名先生の研究を否定することは、これまで芦名先生が研究を発表されてきた学会の判断を否定することであり、その研究業績に基づいて芦名先生を教授に採用した京都大学の判断を否定することでもあります。
学者の世界には学者の世界なりに、優れた研究を判断するための基準、モノサシがあります。長い時間をかけてこのモノサシを作り、厳密なルールを定めてより確かなものへと作りかえてきました。私自身も、ひとりの研究者として自分の研究をするばかりでなく、学会などで審査員として論文を評価することにくさんの時間を費やしています。優劣を評価する以上は、その理由を丁寧に説明する責任があるからです。
日本学術会議法という法律は、学者の世界のモノサシに基づいて会員を選ばねばならないとはっきり定めています。それにもかかわらず、内閣総理大臣が権力を濫用して、この独自のモノサシを否定し、無意味なものにしようとしているわけです。人によっては別に学術会議の会員に任命されなくても研究はできるのだから「学問の自由」は保たれているという人もいますが、モノサシの否定の重大さを見落とした論です。
繰り返しになりますが、菅内閣は6名を拒否することで、学者の世界のモノサシを否定したわけです。こうしたふるまいは、6名の学者に対してのみならず、すべての学者に対する侮辱だとわたしは思います。二つ目は、今回の問題は学者の世界に限られることではないということです。
スポーツでも、芸能でも、あるいは物作りであろうとデスクワークであろうと、熟練を要する仕事ならばどんな世界でも、優劣を図るためのモノサシがあるはずです。
例えばプロ野球では名球会入りの条件として2000本安打がモノサシになっています。もしもある選手が2000本安打を達成したにもかかわらず、内閣の方針に反対したことがあるために名球会入りを拒否されたならば、誰もがおかしいと思うのではないでしょうか。それは、当の選手はもとより、2000本安打を目指してがんばっているすべての選手の努力を否定することにもなるのではないでしょうか。
現にお笑いの世界ではウーマンラッシュアワーの村本大輔さんが、沖縄の基地や原発を漫才でとりあげた途端にテレビから追放される事態が生じました。広告代理店たる電通は今や代表的な国策企業となっていますが、電通のためにお笑いすら統制されています。
もちろん、お笑いと学問は同じではありません。残念ながら、学問にはお笑いのようにわかりやすいパワーはないと言った方がよいかもしれません。ですが、わたしは、あえて村本大輔さんのテレビからの追放と、6名の教授の学術会議からの追放を同じ平面で考えてみたいと思います。
わたしたちの生きている世界には、本当にさまざまなモノサシがあります。それが自然で、また健全な社会のあり方です。それにもかかわらず、「時の内閣に従順であるか否か」を唯一絶対のモノサシとして人びとを選別し、社会を一色に塗り込めようとしている力が強力に働いています。
ですので、学術会議への人事介入は単に「学問の自由」を犯しているだけではありません。安倍政権以来のメディア統制のおかげでとっくの昔に「言論の自由」がすでに瀕死の状態にまで追い込まれている、そのとどめの一撃が学者の世界に打ち込まれたのだと思います。
現在もこの問題に抗議して首相官邸前でハンストをしている著述家の菅野完さんが「本気で戦うべき最後の正念場」と語っているのも、そのような意味なのだと思います。三つ目として付け加えておきたいことは、専門的な知識を軽視する傾向は学術会議問題に止まらないということです。
例えば、新型コロナ感染症対策は、アジアの中でみれば日本は明らかに失敗しています。ひとつの要因として、日本では専門家が政府の方針を後付け的に正当化する役割しか果たせないということがあります。
今年3月に専門家会議が報告書で無症状の感染者にも感染性があると書こうとしたところ、「パニックになる」という理由で政府がその削除を求めたということです。
昨年、GDPの基礎となる勤労統計が政府にとって都合よいように操作されていたことも記憶に新しいところです。
政府が専門的な知識を尊重しない、不都合な事実を覆い隠す、そのツケは結局、市民の生活に及びます。最近『ネイチャー』という英語の雑誌がアメリカのトランプ大統領やブラジルのボアソナロ大統領と並べて菅首相のことをとりあげ、学問の独立性の破壊は、結局、人々の健康と環境と社会を破壊すると説きました。まったくその通りだと思います。菅内閣は、法秩序を無視して権力を濫用する暴走機関車のようです。菅内閣は野党の存在を認めない一党独裁体制さえ狙っているのではないかとわたしは思います。
わたしたちはただ普通の生活がしたいだけです。コロナのためにそれすら難しくなっているのに、その上、政治的な抑圧で自由まで奪われたのではたまりません。わたしたちの市民としての自由を守り、暴走機関車を止めるためには、市民と学者が団結する必要があります。野党の力も必要です。与党支持者の中にも、この強引なやり方はさすがにマズイと協力してくれる方々がおられるはずです。
これまでの支持政党や立場の違いを越えて、まず暴走機関車を押し止めるために力をあわせましょう。暴走機関車の下敷きにされるのは、わたしたちであり、わたしたちの子どもたちであり、孫たちの世代です。それぞれが自分の立場で自分にできることを考えて、思い上がった権力にクサビを打ち込みましょう。