スピーチ原稿集(2016年)

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「自由と平和のための京大有志の会」メンバーがおこなったスピーチ原稿を掲載しています。
スピーチのためのメモに基づいた内容ですので、実際のスピーチとは異なるところもあります。


☝2016/10/16 「安全保障関連法に反対する学者の会・大学有志の会意見交換会」(田中陽子)

 自由と平和のための京大有志の会です。
 私は、京都大学で事務職員をしております田中陽子と申します。
 よろしくお願いいたします。

 「自由と平和のための京大有志の会」は、昨年7月2日、安保法制、言論への威圧発言、大学への君が代・日の丸の強制、などの安倍政権による平和の破壊、学問の愚弄、憲法の蹂躙を止めさせ、新しい時代の自由と平和を創造するために結成されました。

 私たちの活動を

  • 声明書
  • 集会
  • ひろば
  • 講義

 この4点を中心に、報告させていただきます。
 今日は活動一覧を表したものをお配りしております。

 最初に声明書についてです。
 この資料にふたつ声明書をあげておりますが、2015年7月2日「有志の会」を立ち上げ、ウェブサイトに声明文を掲載いたしました。「戦争は、防衛を名目に始まる。」この書き出しで始まる声明書は、大きな反響をいただき、国内のみならず、海外在住の方からも賛同の声を沢山いただいています。こどもに向けたこども訳「わたしのやめて」絵本にもなりました。多くの協力者のおかげで27言語の翻訳ができました。声明書を通じて、講演、集会でのスピーチ、勉強会など多くの依頼をいただいています。
 2015年9月19日、新しいステージに向けて、「あしたのための声明書」を発表いたしました。忘れない、あきらめない、屈しない、怒りが諦めに変わらないこと、声をあげ続けること、みなさんと一緒に前に進む思いを強く噛み締めました。

 次に集会のお話です。
 昨年9月1日に京大西部講堂で「安保法制反対集会」を開きました。当日は足元の悪い中、沢山の市民の方たちが集まってくださいました。
 SEALDs KANSAI、T-nsSOWL、ママの会、7つの大学の有志の方からスピーチをいただきました。古い講堂でエアコンもない手作り会場でしたが、真剣な皆さんの思いが溢れかえっていました。会場を出られる際にも熱い思いを伝えてくださったのがとても嬉しかったです。

 そして、今年7月6日、参院選直前に京大文学部講義室で「GO VOTE 0710 自分の未来は自分で選ぶ」と題し、市民連合@京都を主催とした集会を開きました。
 「市民連合@京都」は、「安全保障関連法に反対する学者の会」「安保関連法に反対するママの会」「自由と平和のための京大有志の会」を呼びかけ団体とする多様な市民・市民運動グループのゆるやかな集まりです。
 3人の演者による講演と、7つの大学の学生にリレートークを行っていただきました。学生のトークには、私たちが気付かない視点などが盛り込まれており大変魅力的なものでした。

 また、参院選にあたっては、立候補者に「公開質問状」を送り、各候補者の考えを判断できるしくみを作りました。
 公開質問状は、

  • ①安全保障
  • ②憲法
  • ③米軍基地
  • ④原発
  • ⑤経済政策
  • ⑥雇用と格差
  • ⑦子育てと教育
  • ⑧女性の人権
  • ⑨報道の自由

 9つの項目について20の質問を有志の会で作成し、回答は市民連合@京都のホームページに掲載しました。
 民進党・福山哲郎氏と、日本共産党・大河原としたか氏からは回答をいただきましたが、自民党・二ノ湯さとし氏は、秘書の方より「二ノ湯立候補予定者の見解については、自民党の公約などを参照してほしい」という理由で、回答を拒否する旨が伝えられましたことを付け加えさせていただきます。

 私たちが大切にしている空間、京大の学生・教職員だけでなく、市民のみなさんに参加していただけるような催し、勉強会を、「ひろば」と言う名前で開催しています。

 憲法慰安婦問題ヘイトスピーチなどの勉強会の他、元海軍の方や、京都の戦争体験者の方に経験を語っていただいたりもしました。
 今年94歳になられる元海軍兵の瀧本邦慶さんという方がいらっしゃいます。瀧本さんは、ミッドウェイ海戦とトラック島駐留から奇跡的に生還され、生き残った者の責任として、主に大阪の小中高校などで「戦争の語り部」として活動をされています。声明書を新聞でご覧になり、ぜひ、有志の会の勉強会で、次の世代のために自分の体験を語りたいとお話をいただきました。
 瀧本さんは、ご高齢を感じさせない力強い講演活動をされていますが、今年になり、講演依頼を受けた中学校の校長から突然のキャンセルの連絡があったそうです。「特定秘密保護法や安全保障関連法が成立する時代の空気を気にしてか、講演依頼を取り消す学校も現れた。」「事実も言えない世になりつつある。語り部をやめようか悩んでいる。」こんな記事が新聞に載っていました。

 「ひろば」では、2ヶ月に一回程度、「本を読む会」を行っています。それぞれが自分の読み方にもとづいて、感じたこと、考えたことを自由に述べ合う集まりです。
 鶴見俊輔カント改憲問題小説「小さいおうち」などを取り上げました。次回は、沖縄問題についての本を選んでいます。
 この「本を読む会」をきっかけに参加者の方が別の読書会を自発的に作るといった展開もありました。そういった広がりがあるというのはとても嬉しいことです。
 この読書会は、市民のみなさんとの会話の場であり、言いたいことを言える、どんな意見にも耳をかたむけることができる空間です。小さな集まりではありますが、このような場所を存続していくことの大切さをひしひしと感じています。

 京大には一回生を対象とした少人数ゼミであるILASセミナーというのがあります。「来るべき民主主義と平和のかたち」という講義名で、今年度前期授業として開講いたしました。有志の会の教員を中心に、部局をまたいだリレー講義になっています。
 主体的にものごとを考えられるようになることを目標に、学生とのコミュニケーションを図りました。国家の統制を受けることなく自由に学び、自分の考えを発信し、対話する権利を守っていかなくてはなりません。来年度も開講いたします。

 この一年余り、9条の会、様々な市民運動団体、地方の新聞社、小学校中学校の教員の方たち、多くの方たちと一緒に活動をしてきました。
 修学旅行で京都を訪れた北海道の中学生がたずねてきてくれました。九州の小学生がお手紙をくれました。
 声明書を書、画、朗読、音楽などでステキな表現をしてくださっている方たちがいらっしゃいます。
 声明書を通じて、沢山のご縁ができました。そのご縁を繋ぐことで新しい交流を図ることもできました。今後も、個人が、各団体が孤立しないような縁結びを広げていくことができるようにしたいと思っています。

 「ひろば」、「本を読む会」には、京都の方だけでなく、大阪、滋賀、兵庫からも足を運んでくださる方がいらっしゃいます。
 ただとても残念なことなのですが京大内部の人間が少ないのです。絶対にあってはならない軍学共同などの問題に突っ込んでいくためにも、京大内での仲間を増やし、活動を活発化する。それは今後の私たちの大きな課題です。

 最後になりますが、有志の会のホームページには、声明書に賛同いただいた方たちの声スピーチの原稿動画などで様々なメッセージを発信しています。ひとりでも多くの方にご覧いただければ本当に嬉しく思います。

 どうもありがとうございました。


☝2016/09/22 「安保法制廃止 立憲主義の回復を求める京都大集会―武力によらない平和を希求する」(駒込武)

 みなさん、こんにちは。自由と平和のための京大有志の会の発起人のひとり駒込です。
 今日は、雨模様の中、これだけたくさんの方が集まっていることは、とても勇気づけられる思いがしています。
 安保法制の強行採決からちょうど一年がたちました。
 SEALDsは解散したとのこと、京大有志の会も緊急行動として立ち上げられたものですので、参院選で野党が勝利したら解散も考えていました。ですが、解散し損ねたまま今日にいたっています。

 「戦争のできる国づくり」の準備が着々と進められているからです。

 経団連は、先日、武器輸出を国家戦略として推進すべきという提言をまとめました(『朝日新聞』9月10日)。
 閣僚の資産公開により、稲田防衛大臣が、2年前の武器輸出解禁以降、三菱重工など武器関連産業の株を夫名義で500万円以上購入したことも明らかになりました(『毎日新聞』9月16日)

 「戦争のできる国づくり」は、単に戦前回帰の保守的イデオロギーのあらわれなのではありません。
 経団連系の大企業にとって切実な利害にかかわるのであり、だからこそ、恐ろしいのだと思います。
 戦争で大量の武器が使われることにより、傷つき、いのちを落とす人がいます。
 その一方で、戦争が始まって軍需工場がフル回転すれば「儲かる」人もいます。
 この国は、先の戦争を通じてそれが危険な誘惑であることを深く認識したからこそ、武器の生産と輸出に頼った国作りはしないことを、戦後の初心としてきたのではないでしょうか。

 安倍政権が、武器と同時に、原発の製造・輸出を図ろうとしてきたことも、見過ごすことはできません。
 今年4月には、熊本での大地震の震源近くであったにもかかわらず、川内原発は稼働し続けました。
 今年7月には、中央構造線のすぐ近くに位置する伊方原発が再稼働しました。
 いずれも電気は十分に足りている状況においてのことです。
 原発再稼働は、それにより「儲かる」企業や人びとのためであり、海外に原発を売り込むのに国内で一基も動いていないのでは困るからとしか思えません。
 他方で、今日でも、福島から10万人以上の人が避難し続けています。
 福島において畑を耕し、魚を捕る営みは、いまも大きな制限を受け続けています。
 先日、『東京新聞』の「本音のコラム」で鎌田慧さんが次のように書いていました。

 「カネといのちとどっちが大事か、と問われれば、いのちと答える。が、他人のいのちと自分の儲けとどっちが大事か、と聞けば、いのちと答えつつ、自分の儲けを失いたくない人は多い」(『東京新聞』9月20日)

 確かに、そのような現実が存在すると思います。
 「自分の儲けを失いたくない」という思いから、「寄らば大樹の陰」とばかりに安倍内閣を支持する人々が多数派であることを、残念ながら認めざるをえません。
 そうした人びとに対して、私たちはどのような言葉を投げかけていけばよいのでしょうか。
 「儲け」を追求することそれ自体を否定するのは、困難です。

 でも、誰にでも、「儲け」にはならないけれど、大切なこともあります。
 たとえば、美しい風景を見て感動したり、自然のなかで子どもたちと心ゆくまで遊んだり、安全でおいしい野菜を食べたりすることです。
 聞くところによれば、福島では、原発の事故以来、蝶々の突然変異が多発しているとのことです。
 他方で、沖縄の辺野古や高江で米軍基地建設をめぐる闘いのさなかにある人びとから、美しい蝶々の写真が送られてきています。
 たかが蝶々、はかない命ともいえます。

 ですが、気づいてみれば、それ自体としてはささやかなことが、いかに私たちの生活を豊かにしてくれているか、思い起こす必要があります。
 原発と武器の製造・輸出を根幹とする国づくりは、そのような日々の暮らしを根底から脅かすものです。
 そこで脅かされるのは、さしあっては「自分のいのち」ではなく、自分の見知らぬ「他人のいのち」であり、「虫のいのち」かもしれません。
 ですが、「他人のいのち」を脅かす立場に安住している者が、結局は「自分のいのち」をも失うことは、歴史が証明する通りです。
 日本国憲法の前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と書かれています。
 幸いなことに、まだこの憲法の前文は生き残っています。
 私たちは、ひとりひとり市民として、この憲法前文の精神に基づきながら、武器と原発の輸出を進めようとする安倍政権の暴走を食い止めなくてはなりません。
 市民の力を結集し、思い上がった権力にクサビを打ち込みましょう。


☝2016/06/04 「戦争法廃止!安倍内閣退陣!6.4京都大行動」(小山哲)

 みなさん、こんにちは。

 京大有志の会は、来月で、発足して1年になります。
 この間、京都大学の学生、教職員だけでなく、大学の外の市民のみなさんに参加していただけるような催しを、「ひろば」という名前のもとに、開催してきました。

 私は大学の教員ですが、1人の市民でもあります。
 大学の外から来られた市民の方々とともに、「ひろば」で語り合うなかで、大学のなかでの内輪の議論では見えてこない、日本が直面するさまざまな問題に気づかされ、考えるようになりました。
 いろいろな方のお話を聞くなかで、今でも耳のなかで響いていることばがあります。
 元海軍の兵士で、ミッドウェーの海戦で九死に一生をえて、トラック島で次々と飢えて死んでいく仲間を見送った経験を語られた瀧本邦慶さんが、御年93歳とは思えない張りのある声で、こうおっしゃいました。

「戦争でだれが得をするか、よく考えてみなさい。あなたたちは、もっと賢くならんといかん。」

 そのとおりです。私たちは、市民として、もっと賢くならなければいけません。

 有志の会の「ひろば」に参加してくださるみなさんのなかには、さまざまな年齢、職業、性別の方がおられます。
年齢や職業や性別の壁を越えて、市民と市民が横につながっていくと、狭い内輪の息苦しい関係から解き放たれて、お互いに対等な市民として、自由に発想し、相手を尊重しながら互いの意見に耳を傾け合う、そんなオープンな議論の場が生まれます。
 いま、ここに、私たちが集まっているこの集会もまた、市民と市民が横につながっていくことによって実現しました。

 第2次安倍政権が成立して以来、日本の政治の世界は、市民と市民が横につながる、開かれた「ひろば」とは対極のところにあります。
 そこでは、とても閉じた、狭い、内輪のサークルのなかで、ものごとが決められていきます。
 このサークルのなかにいる人たちが語る言葉は、内輪の関係のなかでしか通用せず、広い世界では理解されません。
 先日のサミットにおける安倍首相の言動がどのように報道されたか、NHKのニュースと、サミットに参加した日本以外の国のメディアの伝え方を比べてみれば、そのことは一目瞭然です。
 私たちは、この狭くて息苦しい安倍政治の壁を打ち破って、政治の世界に新鮮な風を吹き込まなければなりません。
 市民と市民が横につながる、開かれた「ひろば」のなかに、政治の世界を取り戻さなければなりません。

 2013年に特定秘密保護法が成立して以来、私は、自分が立っている地面が、ある1つの方向に向かって、どんどん傾いて行っているような感覚にとらわれています。
 2014年には、「防衛装備移転三原則」が閣議決定されて、武器の輸出が事実上解禁されました。
 そして、昨年9月には、安保法制が成立しました。
 憲法を変えないままに、日本は戦争に積極的に加担する国になりつつあります。

 いま、大学の世界では、大学の教員による軍事研究が大きな問題となりつつあります。
 軍事研究に対する防衛省の助成費は、昨年度は3億円、今年度はその倍の6億円に増額されました。そして、自民党の国防部会は、この軍事研究への助成額を、近い将来100億円規模に引き上げる提言をしています。
 安倍政権をこのまま放置すれば、日本の大学は、軍事研究と抜き差しならない関係で結ばれてしまうことになります。
 みなさんのお子さんやお孫さん、あるいは、ご近所に住む若者たちが、大学で、戦争を目的とする研究に手を染めることを、はたしてみなさんは望んでおられるでしょうか。
 望んでおられないとすれば、安倍政権の暴走を止めるしかありません。
 暴走を止める力をもっているのは、横につながる市民たち、つまり私たちです。
 1人でも多くの人に、あなたもいっしょにつながろうと、これから声をかけていきましょう。

 あきらめず、粘り強く、声をあげていきましょう。
 どうもありがとうございました。


☝2016/05/03 「生かそう憲法 守ろう9条 5・3憲法集会in京都」(藤原辰史)

 みなさん、今日、5月3日、日本国憲法が施行されたこの日に、わたしは、みなさんとともに、そして、あえて戦争で亡くなった人たち、とくに若いひとたちとともに、この場に立ちたいと思います。なぜなら、若い犠牲者たちの目線にたってこそ、傷だらけの日本国憲法を蘇らせる方法がみつけられるかもしれないと考えるからです。

 みなさん、小泉政権忘れていませんよね。小泉政権と日本人の多くはイラク戦争を支持した。イラクでは子どもや女性たちが「誤爆」で殺されつづけ、捕虜が電気ショックやレイプなどきつい拷問を受けた。にもかかわらず、日本人は小泉首相とイラク戦争の支持をやめませんでした。安倍政権は武器輸出三原則を撤廃した。軍需産業は他国の人たちを殺す武器を売り始めました。最近、憲法9条が核兵器の使用のみならず、生物兵器や化学兵器の使用を禁ずるものではない、と閣議決定したことは、ニュースでも取り上げられました。こうしたことすべてが日本国憲法を停止させないまま、なされてきました。

 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という憲法前文の言葉は、すでに深手を負っています。生物兵器や化学兵器は、世界中の子どもたちの皮膚を爛れさせ、呼吸を止め、病原菌を感染させて殺します。これからすると、小泉首相や安倍首相はいうまでもなく、色めき立っている日本の軍需産業もまた、あきらかに憲法違反である。と同時に、みなさん、魚雷で若者を殺す潜水艦をオーストラリアに売れなくてくやしがる社長って、そもそも、ひとりの大人として間違っているのではないでしょうか。

 第一次も第二次世界大戦も、朝鮮戦争も、ヴェトナム戦争も、イラク戦争も、政治家たちと軍需産業のトップは安全圏にいて、その孫ほどの歳の子どもたちに殺しあいをさせました。大人が子どもを殺す、祖父母が孫たちを殺す、これが戦争なのです。

 日本国憲法も、憲法9条も、そして、いうまでもなく、戦後の世界の歴史も、戦争で亡くなった人たちは知ることも見ることもできませんでした。大本営からも見放され、サイパンやグアムで手榴弾を使って自殺を遂げた若い兵士たち、日本からの補給もなく、太平洋の孤島で餓死した二十代の兵士たち、広島と長崎に落とされた原爆によって全身にガラスがつきささり、あるいは、無色無臭の放射能に体を侵され死んでいった子どもたち。沖縄戦で守ってくれるはずの軍隊から自殺を強要された女性たち、みんな、憲法制定に参加できませんでした。

 憲法9条は、イラク戦争のブレーキにもならなかった、さらに武器輸出三原則が適応され、解釈改憲までなされた。この意味でも、傷だらけの状況なのです。

 では、みなさん、わたしたちは、傷だらけの憲法を、ボロボロだからといってゴミ箱に捨てるべきでしょうか。わたしはそうは思いません。傷だらけであるということは、経済界や政治家によって試練にさらされつづけてきた証拠なのです。けっして死んではない。憲法9条の理念を大怪我から回復させる責務が、わたしたちの仕事として残っているのです。そして、われわれは、まだ、一度たりとも、平和憲法の理念を、世界の理念にすることに成功していない。そもそも、戦争で亡くなったのは日本人ばかりではないのです。

 先日、長崎に行ってまいりました。長崎の爆心地から100メートルほど離れたところに、放射状になった長崎刑務所浦上支所跡があったことはあまり知られていません。ここに逮捕され収容されていた132人中、中国人32人、朝鮮人13人がおりました。三菱造船所など軍需工場で強制的に働かされていましたが、原爆によって全員即死。長崎全体では朝鮮人の被爆者は2万人、死者は1万人。広島になると、朝鮮人の被爆者は5万人、死者は3万人。広島にも長崎にもこうした犠牲者に捧げられた慰霊碑が立っています。しかし、日本の首相だけでなく、いわゆる日本の「国民」も、ここを素通りします。平和憲法を日本国民だけのものにしてはいけないのです。

 争いを続けるのが人間なんだから、改憲も仕方がない、という人もいます。戦場に立つのは自衛隊だから、ぼくは大丈夫、と思っている人もいます。わたしはこうした発言を聞くたびに「上から目線」を感じずにはいられません。「争い」の現場は、本当に悲惨なのです。「人間だから仕方がない」と言い切ることは、すくなくともわたしにはできません。手足も首もバラバラになったり、生きて帰ったが精神を引き裂かれ、言葉を失ったり、空襲で焼き尽くされ丸焦げになったり、ご飯がなくてお腹が空いて死んでいったりした子どもたち、赤ん坊たち、これらすべての若い犠牲者たちのまえにして、わたしは、戦争が起こったのはしょうがなかったんだ、この時代に生まれて不運だったね、と言い切ることなど絶対にできません。はかない希望を捨てるには、わたしたちが住むこの惑星には、あまりにも悲しい幼い死と、幼い命を踏みにじってお金儲けをする大人たちが多すぎるのです。

 そして「人間は争うものだから戦争反対といってもしょうがない」と言う人は、そもそも自分が安全圏に「いない」ことを知りません。安保法制は、暴力と暴力の道具を海外に輸出することで、大量の怒りを日本列島に輸入します。暴力は、さらなる暴力を招くだけです。テロが起これば、もちろん、自衛隊のみならず、わたしたち市民も、そして日本に住む海外の人たちも殺されたり、怪我をおったりしやすくなります。テロが起こったとき、テロを呼び寄せた張本人である首相はきっと「テロの行為を断じて許さない。いまこそ、日本が団結すべきときだ」と言って、支持率を上昇させるでしょう。このとき、国家公認のヘイトスピーチが復活し、国家公認のレイシズムが始まることでしょう。もう、いいかげん、政府に騙されるのはやめませんか。

 だから、わたしは、わたしよりも若い戦死者たちと一緒にここに立ち、歩きたいと思います。


☝2016/01/30 「安保法制に反対する京都高校生デモ」(School of Democracy)(駒込武)

 「自由と平和のための京大有志の会」の駒込といいます。京都大学の教育学部に属しながら、日本植民地支配下台湾の教育史を研究しています。有志の会は、安保法案反対の声明書を発して、「生きる場所と考える自由を守り、創る」ことを掲げて活動してきました。

 まず今日のデモを準備されたSchool of Democracyのみなさんに敬意を表したいと思います。自分が高校生の時にいろいろ政治について考えてはいたけれど、デモをすることなど考えられませんでした。スゴイなと思います。実際に街頭に出て、人が集まり、一緒に歩くことは、民主主義を学ぶ上で、とても大切なことだと思います。

 みなさんもご存じの通り、安倍首相は、安保法案を強行採決したばかりでなく、憲法を改正し、わたしたちの自由を制限するための緊急事態条項を設けようとしています。憲法が改正されて緊急事態が宣言されてしまったら、「安保法制は憲法違反」と語ること自体が憲法違反とされてしまうかもしれません。

 ですから、これは重大な問題です。安倍首相は、「世界中どこの国でも似たような規定を設けているのだから、日本でも当然だ」と語っています。こうしたもっともらしい言い方に騙されてはいけないと思います。

 そもそも大統領制の国と議員内閣制の国では状況が異なります。議会の多数派が内閣を構成する議員内閣制では、議会による内閣のコントロールがききにくいという問題があります。そうした違いすら無視されています。さらに、同じ議員内閣制のドイツと比較しても、重要な違いがあります。ここでは、3点を指摘します。

 第1に、緊急事態を簡単に宣言できてしまうことです。自民党の改憲案では国会の承認は事後でよいことになっています。しかも、対外的な戦争の危機も自然災害も一緒くたにしています。ドイツの場合、対外戦争の危機である「防衛事態」と「災害事態」を区分し、「防衛事態」の場合でも議会の3分の2以上の賛成による事前承認を必要としています。過半数か3分の2かという違いは、細かいことのようでいて、大きな違いです。

 第2に、緊急事態をズルズルといつまでも続けられることです。ドイツでは、「防衛事態」における自由の剥奪は「4日間」と限定し、議会が単純多数でいつでも緊急事態の終了を宣言できると規定しています。自民党の改憲案では自動で「100日間」も継続し、国会の承認があればさらに延長できることになっています。しかも、衆議院を解散せず、参議院の選挙も先送りできるとしています。つまりは、いったん緊急事態を宣言したが最後、その後何十年も選挙をしないことさえ原理的には可能な仕組みになっています。

 第3に、緊急事態において、内閣は基本的な人権を制限するだけでなく、「法律と同一の効力を持つ政令」を制定できるとしています。この原理を徹底させると、立法機関としての国会は不要となります。ドイツの場合、政府による法律命令の制定が認められるのは「防衛事態」のみですが、日本の場合は、新型インフルエンザの流行でさえこうした措置が可能となるのです。

 私が、ここに話したことは、衆議院に提出された資料に書いてあることです(『「非常事態と憲法」に関する基礎的資料』衆憲資第14号、2003年)。だから、安倍首相は知っている、知らなくてはおかしい。それなのに「他のどの国でも似たような規定がある」なんていい加減なことを言っているのです。これはまったくの詭弁です。

 よくナチズムとの相似性が引き合いに出されますが、私は、私の研究している、日本植民地支配下の台湾と同じだと思いました。植民地では議会は設けられず、総督の命令がすなわち法律だとされていたからです。50年近くにもわたって、いわば緊急事態が日常とされていました。そうしたことが実際に起こっていたのに、多くの日本人は忘れ恵てしまっている。その歴史的健忘症につけこんで、安倍首相は、いま、この日本でその仕組みを復活させようとしているのです。これからは、「安倍首相」ではなく「安倍総督」と呼んだ方がよいかもしれません。この「総督」が気にかけているのは、もちろん、日本の市民一般ではありません。「宗主国」としてのアメリカの意向であり、一部の大企業と富裕層です。

 「安倍総督」の目指す憲法改正は、いつでも民主主義を抹殺できる仕組みを手に入れようとするものです。緊急事態を宣言するぞという威嚇だけでも、民主主義を瀕死の状態に追いやることができます。もしもそんなことが実現したら、その最大の被害者は若いみなさんであり、みなさんの後に続く世代です。

 みなさんは、昨年、台北やソウルでも高校生たちが、国家による歴史教育の統制に反対して、デモを繰り広げたことをご存じでしょうか?

 もはや右肩上がりの「成長」を思い描きにくい時代において、自らの既得権益を必死に守ろうとする人びとと、これに異議を唱える若者の対立が世界の各地で生じています。

 私は、アジアの歴史を研究する者として、アメリカ一辺倒の「安倍総督」に対抗するためにも、隣国の若者たちとの相互理解を深めることが大切だと思います。今日、八坂神社からここまで歩いて来る間にも、たくさんの中国語が聞こえました。先ほども私たちを見て「他們説什麼(あの人たちは何を話しているの?)」という声が聞こえました。今日の集まりが、アジアの隣人たち流れに連なるものとして大きく広がっていくことを願っています。

 最後にみなさんもよくご存じであろう、魯迅の言葉を引きたいと思います。

 「もともと地上に道はない。 歩く人が多くなれば、 それが道になるのだ」

 新たな道を切り拓くために、まずひとりひとりが自分の足で歩き始めましょう。

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