プチアースデイ三井寺*しが2015


12月20日(日)10時から15時まで、滋賀の三井寺で「プチアースデイ三井寺*しが2015」が開催されます。SEALDs KANSAIやしーこぷのリレートーク、バンドライブ、トークセッション、など、もりだくさん。すぐそばでオーガニックマーケットも常時開かれています。沖縄、食、農業、原発など、いろんな問題を参加者と一緒に考える平和のためのイベントです。お子様、ご家族、ご友人とご一緒に、ぜひお越しください!

「プチアースデイ三井寺*しが」 日時:12月20日(日)10:00~15:00
場所:三井寺(滋賀県)アクセスマップ
主催:

詳細はチラシFacebookイベントページをご参照ください。

19日はデモにいこう!


戦争法廃止を求める左京の会、戦争をさせない左京1000人委員会自由と平和のための京大有志の会で、「戦争法は廃止を!左京みんなのデモ」を呼びかけています。奮ってご参加ください!Facebookイベントページはこちら

日時:2015年12月19日(土)

  • 15:30 百万遍スピーチ 大集会
  • 16:00 京大博物館前出発 デモ
  • 17:00 京都市役所前合流 集会
  • 17:30 デモ出発→四条河原町へ

呼びかけ:

あしたのための声明書


わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。

わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。

わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。

わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。

きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。

わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。

自由と平和のための京大有志の会

あしたが まっている

わたしは わすれないぞ
ひとのはなしを ちゃんと きかないで
むりやり おかしなきまりを つくったおとなを
「けんかはいやだ」のきもちを わがままと きめつけて
ばかにしていた つめたいおとなを

ぼくは わすれないぞ
こわがらせて いばっていた おとなのかおや
こわがって ぺこぺこしていた おとなのかおを
たいせつな おはなしをしているのに
ぐうぐう ねていた おとなのかおを

わたしは わすれないよ
おかしいことは おかしいと つたえようとした
おねえさん おにいさんたちの しんけんなかおを
おばあさん おじいさんたちの おおきなこえを
だれにも あやつられない おとなたちの ゆうきを

ぼくは わすれないよ
つらいおもいでを むねにして たちあがった おとなを
きっぱり むねをはって こぶしをつきあげた おとなを
きいてもらえないかも しれないのに
ずっと こえをあげつづけた たくさんの おとなたちを

きょうからは わたしが ぼくが はじめるんだ
おとなが まちがったら わたしたちが なおす
ひとのはなしを きけるひとを ぼくたちが えらぶ
じぶんかってな おとなは わたしたちが やめさせる
「じゆう」や「へいわ」は ぼくたちの て で つかむんだ

わたしは わすれない
ぼくは わすれない
まだ なにも おわっていないから
あしたが まっているから

じゆうと へいわの ための きょうだい ゆうしの かい

Manifesto for Tomorrow

We cannot forget.
The audacity of the Prime Minister who passed the security treaty without listening to the voices of the people and hearing their answer.
The shamelessness of the Diet members who scorn the youth who shout that they do not want to go to war as “selfish.”
The arrogance of the Chief Cabinet Secretary who scoffed that the people would forget about the forced passage of the bill over the three-day weekend.

We cannot forget.
The conceit of the Diet members who threatened to imprison members of the mass media.
The ugliness of the journalists and pundits that only flatter and curry favor with authority.
The flaccid weakness of politicians that only slumber.

We cannot forget.
The beauty of the young people who have raised their voices.
The dignity of the elderly who stand up on the streets.
The courage of those who have taken on indictments.

We cannot forget.
The image of those war veterans that have joined the student protests.
The determination of all the people who hold up placards on the street, at their places of work, and in rice fields.
The painful history of those who continue to raise their voices even when they cannot be heard.

Today is a new beginning.
The beginning of the work to lay to rest a law that scorns our constitution.
The beginning of the days when politicians who cast their support in favor of the revision bite down and grimace.
The beginning of the end of monopoly politics that tramples the dignity of the people and disrespects human life.
The beginning of all kinds of experiments to truly and broadly work towards shared peace and freedom.

We cannot forget. We cannot give up. We will not give in.

Kyoto University Campaign for Freedom and Peace

恐怖による言論封殺を許さない―奥田愛基さんとご家族への「殺害予告」に寄せての声明


 9月28日付新聞報道によれば、SEALDsの中心メンバーである奥田愛基さんとそのご家族に対する「殺害予告」の書面が届いたという。
 「殺害予告」は、たとえ実際に予告した行為に及ばない場合でも、それ自体として、恐怖によって脅された人びとの生活を大きく損なう。
 しかも、これは奥田愛基さんとその家族だけの問題ではない。
 「殺害予告」は、その対象として名指された者ばかりでなく、同様の主張をおこなう者たちに対しても、恐怖による言論封殺を迫る効果をもつ。
 だからこそ、わたしたちは、断固として恐怖による言論封殺に抗議する。それは、1930年代の日本で支配的となった行動様式であり、全体主義的体制の根幹となったことを、わたしたちは知っている。
 わたしたちは、あらゆる言論人が、恐怖による言論封殺を許さないというただその一点において団結し、抗議の意思をあらわすことを請願する。
 わたしたちは、警察官および司法官に対して、刑法で「脅迫罪」にあたる行為をおこなった犯罪者に対して、法による裁きをもたらすために最大限の努力をおこなうことを求める。
 わたしたちは、安倍晋三首相に対して、恐怖による言論封殺を許さない姿勢を明示することを要求する。

自由と平和のための京大有志の会

ひろば「戦後70年安倍談話」を考える


この勉強会は、京都大学の学生・教職員だけでなく、市民にも開かれた「ひろば」として開催されます。

「戦後70年安倍談話」では、子どもや孫の世代の子どもたちに「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないと述べました。この点には共感する人も少なくないようです。ですが、子どもたちの世代に負債を残さないために必要ななことが、本当になされてきたのかどうかといえば、疑わしいといわざるをえません。日本政府による謝罪や補償をめぐる問題が解決していないのはもちろん、歴史認識の共有をめぐる試みという点でもきわめて不十分であったのではないか。植民地支配と侵略戦争が東アジアのひとびとにもたらした苦しみと、その苦しみの記憶という問題をふまえながえら、「戦後70年安倍談話」を検証したいと思います。

「戦後70年安倍談話」のなにが問題なのか?―東アジア近現代史から考える― 日時:12月3日(木)18:15~20:00
場所:文学部第1講義室
講師:駒込武(教育学研究科教授)
題目:「戦後70年安倍談話」のなにが問題なのか?―東アジア近現代史から考える―
主催:京大職員9条の会
共催:自由と平和のための京大有志の会

私の世界に響く声 ー私の世界を形作る「考えること」「表現すること」ー NF(京都大学11月祭)企画


「誰かに伝え、共に生きるために。闇の中をもがきながら組み立てた、私たちの過去と現在」をコンセプトに、社会の混迷や暴力を可視化しながらも、そこに一筋の光を見出そうとするような作品(主に映像や写真、音楽など)を鑑賞し、その作者や有識者を交えてのシンポジウムを開催します。

私の世界に響く声 ー私の世界を形作る「考えること」「表現すること」ー ゲスト:

  • 瀬々敬久さん(映画監督)
  • 関谷滋さん(元ベ平連)
  • 比嘉真人さん(映像作家)

日程:11月22日(日)

  • 映像上映・展示企画 : 9:00 より終日
  • ゲストによるトーク : 12:00 ~16:00
    (詳しいタイムテーブルはこちらをご参照ください。)

会場:京都大学文学部第2講義室

参加申し込みは不要です。盛りだくさんのプログラムとなっておりますが、適宜休憩を挟みます。お待ちしております!

ひろば 鶴見俊輔を読む会


この勉強会は、京都大学の学生・教職員だけでなく、市民にも開かれた「ひろば」として開催されます。

鶴見俊輔さんは、たくさんの書かれたことばと語られたことばを、わたしたちに遺して逝かれました。
わたしたちの感性と知性を揺さぶることば、世界を新しい視点から見ることに気づかせてくれることば、わたしたち同士でもっと対話することを促すことば――そんな力をもったことばが、そこには数多く含まれています。
そんなことばに触れながら語り合う会をはじめます。

4022599235 日時:11月10日(火)18:30~20:00
会場:京都大学文学部第2講義室
キャンパスマップ:
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/yoshida/map6r_y/
(本部構内の5番と8番のあいだにある校舎の1階です。)
テキスト:鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち』(黒川創編 鶴見俊輔コレクション 1)、河出文庫、2012年
参加される方は、各自でご用意ください。

講師はたてず、専門家はいない、という前提で、各自が自分の読み方にもとづいて、感じたこと、思ったこと、考えたことを述べ合う、そんな集まりにしたいとしたいと思っています。

ひろば 読書会『食べること考えること』(第4回京都アカデメイア読書会 特別篇)


この勉強会は、京都大学の学生・教職員だけでなく、市民にも開かれた「ひろば」として開催されます。

京都アカデメイアと共催で、下記の読書会を開催します。ぜひ、お越しください。
http://kyoto-academeia.sakura.ne.jp/blog/?p=4296

『食べること考えること』 日時:10月28日(水)20:00~22:00
会場:京都大学人文科学研究所1F第一セミナー室
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/zinbun/access/access.htm
ゲスト:藤原辰史(京都大学人文科学研究所)
課題本:『食べること考えること』 (共和国、2014年)
共催:京都アカデメイア

ひろば 戦争知らない世代の戦争論―「京大有志の会」の声明文・起草者 藤原辰史さんの語り


この勉強会は、京都大学の学生・教職員だけでなく、市民にも開かれた「ひろば」として開催されます。

4022599235 日時:10月15日(木)19:00~21:00
会場:向日市民会館 第5会議室(40名定員)
内容:「自由と平和のための京大有志の会」の声明書の真髄と若い人たち(戦争を知らない世代)の戦争論がどのように展開されているのかについてお話しします。
主催:「9条の会」向日市連絡会
共催:自由と平和のための京大有志の会

ひろば 永井和さんの講座


この勉強会は、京都大学の学生・教職員だけでなく、市民にも開かれた「ひろば」として開催されます。

新しい戦争に向けての準備を進めることと、かつての戦争における犯罪的な行為を認めず、言い逃れをしようとすることは、背中合わせの出来事です。日本軍「慰安婦」問題をめぐる『朝日新聞』の報道が政府機関によるあからさまなバッシングの対象とされて、大手メディアがほとんど沈黙させられた状況だからこそ、京都大学発で問い直します。

講師の永井和氏は、軍事史にも精通した歴史家として「慰安婦」問題に関する実証的な調査研究を積み重ねられた方です。「有志の会」では、永井氏をお招きして、現在の状況のなかで「慰安婦」問題を考えるポイントなどをお話いただく勉強会を開催します。多くのみなさんのご参加をお待ちしています!

日時:2015年 9月29日(火)17:30~19:00
会場:京都大学 吉田本部構内 文学部校舎 第1・2講義室
テーマ:「慰安婦」問題―破綻した「日本軍無実論」
講師:永井和氏(京都大学文学研究科教授)
入場無料・予約不要

京大職組ミニ講義Open企画「子どもたちの戦争―ふたつの大戦から」


20世紀に起こったふたつの世界戦争は、はじめて、たくさんの子どもたちを無差別に殺した。世界中の大人による世界中の子どもの大虐殺は、有史以来最大の汚点といってもよいだろう。しかも、その子殺しの方法は、空襲と兵糧攻めという遠隔操作的なものであった。

子どもたちの未来が危機に瀕している時代だからこそ、「子どもの視点」から、ふたつの世界大戦を振り返ってみたい。

なお、補足として、わたしもその発起人のひとりである「自由と平和のための京大有志の会」の実践と、声明書の「子ども訳」についても紹介したい。

4022599235 日時:2015年 9月17日(木)12:10~13:00
会場:KUINEP講義室[MAP]
テーマ:子どもたちの戦争―ふたつの大戦から
講師:藤原辰史氏
京都大学人文科学研究所准教授、自由と平和のための京大有志の会発起人)
どなたでも聴講できます。

「9・10 戦争させない!左京フォーラムー藤原辰史さん講演「思い上がった権力にくさびを!—「京大有志の会」の理論と実践」&左京市民によるリレートーク」の動画がアップされております!


「9・10 戦争させない!左京フォーラムー藤原辰史さん講演「思い上がった権力にくさびを!—「京大有志の会」の理論と実践」&左京市民によるリレートーク」ついて、IWJのサイトに動画がアップされております。当日ご来場いただけなかった方も、ぜひご覧ください。

自由と平和のための京大有志の会「安保法制」反対集会の動画がアップされております!


西部講堂にて行われました自由と平和のための京大有志の会「安保法制」反対集会について、IWJのサイトに動画がアップされております。当日ご来場いただけなかった方も、ぜひご覧ください。

4022599235 日時:2015年 9月1日(火)17:30 開場 | 18:00 開始
会場:京都大学 西部講堂 [MAP]
登壇者:

  • 山室 信一(京都大学教授・法政思想連鎖史)
  • 藤原 辰史(京都大学准教授・農業史)
  • 西郷 南海子(安保関連法案に反対するママの会)
  • SEALDs KANSAI

入場無料・予約不要
詳細はこちら

安倍談話批判


 豊かな未来を語るには、厳しく過去を直視しなければならない。安倍晋三首相の「戦後70年談話」は、その姿勢に欠けており、歴史に対して謙虚であるとはとうてい言えるものではない。

 「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」といういわゆる四つのキーワードが戦後70年談話で言及されているか否かだけを安倍談話の評価基準にしてしまうと、この談話が含む問題性を見過ごすことになりかねない。これらのキーワードがいかなる文脈においていかなる意味を込めて使われているか、これこそが問題である。

 たとえば、村山談話ならびに小泉談話の「お詫び」を過去形で持ち出し、それを「引き継ぐ」としか述べていないのは、謝罪の意を伝えるうえできわめて不十分といわざるをえない。広く指摘されている通り、四つのキーワードの主語をおそらく意図的に曖昧にしている点は、この談話の重大な特徴である。

 主語の曖昧さはキーワード以外に関しても同様である。戦時中の女性の苦しみへの言及を例に挙げるなら、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」と述べるばかりで、誰が傷つけたかについては不明確なままである。「二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリード」しようというのであれば、傷つけた主体の一つが日本であったことを明言せずに済ますことは許されまい。

 さらに、安倍首相が引き継いでいるとする「お詫び」や「反省」と齟齬をきたしている歴史認識も少なくない。主な三点のみ、以下に挙げる。

 第一に、日露戦争について。安倍首相は、冒頭の箇所で、西洋列強の植民地主義をとりあげたうえで、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と述べている。「勇気づけた」側面があったとしても、それだけでは、日露戦争が朝鮮の権益をめぐって勃発した事実、さらに、日露戦争直前に中立を宣言した韓国を無視して日本が朝鮮半島を軍事支配下に置き、さらに戦争中に韓国の保護国化を閣議決定したという事実を見逃すことになる。いったんは日本により「勇気づけ」られたアジア諸民族の多くが、その後の朝鮮植民地化の過程を目撃して絶望したという事実を無視して、ただ「勇気づけた」とだけ記すのは、日露戦争の評価としては著しく一面的である。

 第二に、第一次世界大戦後の日本について。幣原外交や軍縮会議への参加、パリ不戦条約の批准などを踏まえてであろうが、安倍首相は、「人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。/当初は、日本も足並みを揃えました」と述べている。しかしこの発言には、日本が、台湾・朝鮮・中国などの民族自決の動きと敵対していたことに対する認識の欠如という問題がある。そして同じ問題は、「第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキをかけました」という首相の言葉にも見受けられる。だが、第一次世界大戦後、朝鮮における三・一独立運動や台湾における台湾議会設置運動など、台湾や朝鮮で民族自決を求める人々の思いを武力・警察力を用いて文字通り圧殺し、中国における五・四運動を敵視し、中国統一を阻み続けたのは、ほかならぬ日本ではなかったのか。これらの点を無視した今回の談話は、歴史的事実の一面的な認識に基づくものであり、戦時中の「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」などのスローガンで、国外のみならず、国内の一般市民の目をも欺いた国家権力のやり方と相通ずるものがある。深い懸念を感ぜずにはいられない。

 第三に、戦後の歩みについて。まず、「平和国家としての歩み」の基礎であった9条と立憲主義を「解釈変更」という姑息な手段で破壊し、「積極的平和主義」なるアメリカへの軍事的追随政策を掲げる安倍首相に、それを「誇る」資格はない。また、日本の戦後史は「平和」と「繁栄」だけで語りうるわけでもない。

 だが、それにもまして真摯に問わなければならないのは、戦後、私たちが本当に戦争の内実と向き合い、旧植民地・旧占領地の人々と言葉を交わし、理解を深めてきたのか、という点である。朝鮮半島の戦争と南北分断をどれほど自己の問題としてもとらえてきたのか。朝鮮半島における内戦により何百万もの人びとの命が失われていたときに、日本の支配層はこれを「天佑」「特需」として歓迎したのではなかったか。「祖国復帰」したはずの台湾人が植民地時代の「皇民奉公会」との関係などを理由として国民党政府により惨殺されていたときに、いったいどれだけの日本人が抗議の声を挙げたのか。さらには、日本に居住し続けざるをえなかった在日アジア人たちの人権をどれほど尊重してきたのか。日米戦争の捨て石にされ、その史実もないがしろにされたまま、いまなお米軍基地が集中し、それゆえに土地の強制使用や騒音や米兵の陵辱事件に踏みにじられてきた沖縄の歴史をどれほど厳粛に受け止めてきたのか。戦争ばかりでなく、戦後を問い直す作業も私たちにはまだ膨大に残されている以上、安倍談話が意図するように、あるいは、非戦争体験者の増加だけを理由に、「戦後」を終わらせるわけにはいかない。

 戦後生まれの世代に属する日本国の国民は、直接的には戦争中の行為について責任を負っていないが、日本の国家と政府は、その歴史的な継承性を主張するのであれば、自国が過去に犯した過ちについて、今後も責任を負い続けるはずである。また、戦後生まれの世代も、被害者側からみて許容しうる歴史認識がいまだに公式な見解として日本の政府に定着していない以上、その責任を負っている。

 謝罪がなされるかどうかは、加害がなければ被害は生まれないという論理を前提として考えなければならない。今回の談話のように加害者側から一方的に謝罪は必要ないと主張することは、論理的にも道義的にも間違っている。

 私たちは、未来を語ることを拒もうとは思わない。むしろ、自由な言論の認められた空間で、未来の構想を大いに語りあいたいと願う。ただし、未来を語ることが、過去を直視できる人間にのみ許される行為であるという戒めを、やはり忘れてはならない。過去を直視しない未来への提言は単なるポーズ以上のものではありえず、不毛である。

自由と平和のための京大有志の会

自民党・公明党の議員にわたしたちの「声」を届けよう!―発起人からアクションの呼びかけ―


わたしたちの声明書にたくさんの方から賛同の声を寄せていただきました。

賛同者の方々のメッセージ、そのひとつひとつに目を通しながら、どれも示唆深く、「本当に止める!」という思いを励まし、新たにしてくれる印象を抱いています。

わたしたちの声明書は、「読み人知らず」の歌のように、さまざまな場でいろいろな方々に口ずさまれることを願ってのものであり、どこか特定の宛先に「届ける」ことを意図して作成したものではありません。賛同してくださった方が、ほかの賛同者のメッセージを読んで「そういうこともあるよな」というように考えてくれれば、それで十分に意見交換のための「ひろば」の役割を果たしているとも感じます。

ですが、賛同者の方々のメッセージを読むにつけて、戦争法案を推進しようとする与党自民党・公明党の議員のみなさんにこの「声」を届けてあげなければ、もったいないという気がしてきてもいます。

そこで、政党のネット上の窓口や個々の議員のFaxを通じて、自民党・公明党のみなさんにわたしたちの「声」を届けるアクションを呼びかけます。

どのような「声」を届けるかは、もとより、人それぞれです。

ひとつのやり方としては、わたしたちの声明書を貼り付けたうえで、その前か後に賛同メッセージとして記してくださったのとほぼ同じ内容を書いていただくということもありえるのではないかと思います。

それでなくても、それぞれに工夫をしながら、この声明書に賛同するにいたった自分たちの思い…まさかそれを踏みにじったりはしないよねと、(だいぶ不安もあるけれど)あえて「信じているよ!」という声を届けてみるという選択もあると思います。

声明書の送り先は、下記の通りです。

緊急合同声明


私たちは、衆議院本会議での安保関連法案可決に対し、強く抗議する。
私たちは、法案の即時廃案を求める。
私たちは、参議院の審議では、憲法遵守の姿勢をつらぬくことを要請する。

数の力で押し切ったところで、
憲法から乖離した安倍政権は没落するしかない。

安保法案を廃案にし、民主主義をこの手に取り戻すまで、私たちの連帯と抵抗は決して途切れることはない。

自由と平和のための京大有志の会 × 安保関連法案に反対する立命館有志